ひる

ひるですね。
月曜。休みなんですけど。
 
朝はホテルでめざめ。朝食バイキング。米を茶碗で二杯は喰いたい。赤魚と鮭と、ハムとソーセージと、漬物(大根、はくさい、きゅうり)と佃煮と、炒り卵とメンチカツと、ブロッコリーグラタンと豆腐こんにゃく厚揚げ煮込みと、茄子煮びたしと海苔と。そしてサラダ。
 いろんなくいものをちょっとずつ喰うのはいいことだと思うあと味噌汁ミルクコーヒーである。
 
読書しながらかえる。車をとめて読書。
 
壇蜜先生の「どうしよう」と吾妻ひでお先生の「ひみつのひでお日記」を並行して読んでいる。
壇蜜先生の文を読んでいて、他者と会話するときのいわかん、分かってもらえない感を強く感じる。「○○を好きな理由」をいくら語っても他人にはわかってもらえないけどそれでもがんばって土台をつくるところからやるところはすごいなあと思う。先生である。吾妻先生はもう大昔というかオレは現役でチャンピオンでふたりと5人を読んで衝撃を受けてる世代なので尊敬の念しかないのだが、今でもJKウオッチングイラストをみるとすげえなあうまいなあと思うのだが、しかし吾妻先生が絶対描かない分野があってそれは妻に対してどう思っているかどういう関係か仲がいいのかわるいのか許されているのか突き放されているのかどうなのかの関係性である。
オレなんぞは独身だしそういう婚姻の関係性はまったくわからないし未知なんだけどなんでか他人の夫婦の年月たったその後みたいなものを外から眺める機会には恵まれているんだと思う、奇遇である、
海外で他人の夫婦の駐在員の家に居候させてもらったり。日本だけどお宅にお邪魔してなんかしてたり。夫婦というのはなんだかんだどっちかが先に死ぬわけで死ぬまでの間にいろいろなことが起こる、どっちかが先に弱っていくし誰かの助力を必要とする状態になる、具体的には排泄問題。一番身近。
 排泄したいトイレまでいって排泄したいんだけど歩行の障害が起こる。あるいは更衣動作の障害がおこる。そして「失敗」が起こる。下着を汚す。それを片付けるのは誰なのか。本人か。本人はそれができるのか。できない場合には誰かがそれを片付けないといけないのである。家族か。同居人か。あるいはヘルパーなのか。
 
なんでこの話になったのか。まあいいよ。
 
 他人の話が通じない。あらゆる場所で。 他人。 公的なのか  私的ななにかの紐帯なのか、
 
 昨日やってたビフォーアフター波照間島にはゆいまーるがあって助け合って暮らしているというがそれってほんとうにあらゆる問題を解決できるのかってそんなわけないのである老人が死んでいくことをああ死んでいくんだねっておだやかにおくっていくことはできるだろうそういうかたちで公的金銭と介護保険システムとかがそんなんいらないよといってすべていろいろすすんでいく社会システムができないものか、ちいさいコミュニティだからできるんだという留保があっていいんですよとにかく「公権力が介在しないからこそうまくいった」ケースを証拠として記録できればねえ。
 あるんだろうとは思うんだけど。
 
 
 
あと車を運転していて今回の2時間はおぎやはぎメガネびいきを改めて面白えなあと思ってきいている。
 
矢作の人生相談は本当にどうしようもない。おもしろすぎる。
 
さいきんになってCRKのなかむらえりこさんとてへぺろの人のラジオやもじゃさくやABCのいた黒とか全然録音しなくなっているというか失敗もしているし、JOQRのいた黒は録音予約しているが失敗している、たぶんradikoのアクセス集中で失敗しているのだと思う。まあ方法はあるのだが面倒くさいの壁がたちはだかる。おわるものはおわる、と思うしかない。
 
ゆかりん先生には大変に大きく重く広くお世話になっている。終わりにする(一旦)のであればオレもラジオから離れていってもいいと思う。
 
もう既にまともではないしまともには戻れないと思った
という段階でではどのくらいどこまで何を頑張ればいいのか
自分中心でいいのかいいとは思うが
親が悲しむぞ^−みたいな銀行襲撃とじこもり立てこもり犯人に対してメガホンで呼び掛けるみたいなものもあり
 
沖縄とかバンコクとかブラジルみたいな暖かいところへいってのんびり漂流したり没したり