よる

しごとがおわって家に帰ってくるとゆったりソファであぐらをかきラジオをきくわけだが
壇の蜜ちゃんのラジオはたのしいというかなにかが奥のほうに染みてくるのであるホイ。
 
それにしても太田アナは。いつきいてもすげえ。オレがラジオリスナーとして開眼したのは多分古本屋バイトを開始してしばらくしてであるからいつ頃だろう?そのころは吉田照美さんと小俣雅子さんの「やる気MANMAN!」を聴いていた。職場で仕事中に。

 
「2007年3月、20年間の歴史に幕を下ろした。

このような長寿番組でありながら、パーソナリティのコンビが途中一度の交代もなく、全曜日通して同じだった例は、ラジオの帯ワイド番組の中でもまれである。」
 
 たしかに今の昼帯ラジオを聴いてる身として、そういうことは稀だよなあ。
 
 で、太田さんである。オレが太田さんを知ったのはつまりやるMANの中で彼が1400時からのコーナー「ようかんマンがゆく」で外中継でやってたところである。太田さんの担当は金曜日。
 
金:太田英明(1988年4月 - 2007年3月30日) - インタビューネタ、特に「微妙に間違うインタビュー」はシリーズ化された。番組初期の1988年の中継で、スタジオ側で仕込んだドッキリに引っかかり、現場で泣き声を上げたこともあった。
 
と、Wikipediaに書かれている。
 
寺ちゃんがその後のJOQRで朝の帯を持っていることと比較して太田さんはどうなんだろう。どうでもいい。オレは太田さんが好きだからだ。
 
なんでそういう記憶がネット情報検索により補完されるのであろうか。
 
多分オレがいまいつも苦しいけどいつもにもまして苦しいし助けを求めているので過去の記憶ライブラリをごそごそしたい気分だからだ。とくにアルバイト時代のあたりの記憶でラジオさんざんきいてたなあ仕事しながら・・・店でラジオかけて・・・・というあたりを参照しようとしているのであろう。
そうでもなかったらラジオなんて聴く習慣なかった。その後にアイドルにハマってアイドルラジオききまくった時もあったしそういう時代もあったが。そしてタンポポのラジオを聴いていつも聴いていたのにあるときにその時間に流れないなんでだろうと思っていたら9・11のWTCに航空機つっこみテロ事件がおきたのであった、2001.そういう21世紀である。