sunday

nichiyou 
nichiyoubi
日曜日
 
朝食にクラムチャウダーとソーセージエッグマフィンとハッシュポテト(ちょっと多い)
 
朝に道の駅(港)にいったら天気いいが空気つめたかった。5月。

昼に葱味噌チャーシュー麺ともちもち餃子を食べに泰華にいったら財布の中身がすっからかんなことを忘れていて謝って家に帰って金とってきて払いにいった。信用してもらえたのはよかったが。とんだ阿呆だ。バッグにいざというときの金を潜ませておけ(そしていったん忘れておけ)。
 
夕。芋を牛乳とコンソメで煮込む(シチュウ)。のこったクラムチャウダーと合流させ。
 
昼間はほとんど全部職場にいてパワポをつくっていた。その合間に図書館で借りてきた本を資料として読む「完全図解 介護のしくみ」講談社
すごく役にたつわー。全体像ってわかんないから。こういうのが要る。
「グラグラな社会とグラグラな僕のまんが道」フィルムアート社。
福満しけゆき。
まったくもっておもしろいわー。何がいいかって呪詛と方針転換と本音に満ちている。いかにモテなかったか。いかに妻となる人物を離さないように必死だったか。いかにヤりつづけたいと思っていたか。妻からどのような安心をもらっているか。すげえな。蛭子さんにつうじるくらいのやるかたない本音の塊を感じるよ。
 
日曜なのに職場に人がいる(ひとりふたりではなく)。
 
ラジオ:東京ポッド許可局。笑点の次期司会者は誰か。タツオさんさすがに業界に詳しい、詳しすぎる。おかげで今日みてみた笑点はとても楽しかった。次回は歌丸さん最終回記念の生放送だそうな。
 
葱は消化がわるいのだろうか
 
よる なんとなくテレビをつけているとイモトさんが南アへ行っていてターザンとジェーンを模していてジェーンらしきヒョウ柄ビキニがなんかセクシー。若い女子だからなあ。
 
などなどなんだろうどうもならん感じの生活は続いているが若い女子は美しいというのはそれは事実であってオレがじじいになるにつれてますます「若い女子は有り難き哉」とかいって神々しく思うであろう。三浦展先生の言う「男性老人はコミュニティうんぬんではなくてまわりに女子がガールフレンドとかがいるかいないかが幸福感に大きく関係する」ってな、下流老人も上流老人も男で爺である以上はそうに決まっている。 
 
ガールフレンドでなくっても近くに近接距離に女子がいればそれで幸せになれるというのであればお金を使って接近すればいいのである。それがアイドル産業。
山ちゃんという人はたくさんいるが山里さんと生ハムと焼うどんがまさかこういう結合を。
http://natalie.mu/owarai/news/187097
お笑いナタリー「南キャン山里の「ナゾトキLIVE」に生ハムと焼うどん挑戦」
 
こないだNHK−Eで見たんだよ生ハムと焼うどんを。
 
なんというか。
こちとら初老オッサン老人であるからして元モ娘。ヲタとしても可愛い子ってなんだろうっていつも考えていた身として。ハムとかうどんを見ているとプリミティブな原始の活力って思ってしまう。さっき書いたイモトさんのなまなましいいやらしさと重なる。
 
わからんことばかりであるがそれでもなんだか何回も読む本というのがあって吾妻ひでお先生の日記は重ねて何度も何度も読んでいる、どうしてJKウォッチングをやめられないのか(続けているのか)、なんだかその心情がすごくわかるような気がするのであるが、わかるってのは単なる共感なので「彼のこころがどう動いているのかすべてわかる」わけではない。
 シンパシー。勝手な。
JKのようなあらあらしいふとましいムダ毛に満ちた存在はどうしてもどうしてもそこに手が届かないことがわかてるので魅力が増すのである。手が絶対届かない存在。
 
わからん。オレは日記がすすまないときは不調で書きまくるときは好調だと思っていたんだ。いまのオレは復調してきているのか?
 
「ただ生きるだけなんてことがそのままあるはずがない 生きているかぎりは具体的な欲望が存在する
はずだ
 具体的な欲望とはそれをしたい行動をそれしたいのことだ
いまそれが為されていないならばそれを実現しようではないか」
 
他人が生活に介在するなんて家族でもないのに現代って不思議な時代ですね