どうも。
日曜休日
いまニュース7の菊池さんの天気予報の声をきいている。・
あらら内陸は暑いのねー
岩手県で沿岸の住人は盛岡とか花巻とかの北上平野に住むやつのことを「内陸」という
と思っていたが、学校で習うのは「北上盆地」だそうな。
どうしてこうなった
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/1568/1/erar-v51n1p105-118.pdf
「北上盆地」 と 「北上平野」 - 岩手大学学術トピックス
はあ、なるへそ。わかりやすい研究である。
なんというか土曜からずっとこっち頭の中にいろいろ占められているのだがそれは一旦おいておいて今日は風呂にいって温泉とサウナであってそれからネギ味噌ラーメンをくって部屋をちょと掃除して洗濯した
つまりなんだ。 なぜどの仕事をするのか どこで何するのか
何がしたいのかとかとあとはそれにはどういうキャラクターを使うのか
そして常になにを考えているのかというこころがまえ
みたいなもの
うちの上司がそういうことを要求してくるので
くるんだろうけども
そりゃそうだ
で、オレにはこころがまえがないのである
ないというかたとえば”地域の問題”が高齢化の進行とともに介護保険がばんばん使われてお金が地域に無くなっていくというかんじの
そこに対してなんとかせねばならんという働き手がいるのはわかる
公共の問題なのか個人の問題なのか
って分けるのもよくない、
個人の問題がもともとなんだけどそれが数として無視できない量になっているので税金や介護保険制度を使わざるをえない
んですけど
個人を救うのは本質的には個人の本人そのものであるし個人のモチベーションがあればあるだけ個人は自分をたてなおすことができる
他者がそれにどう関与できるのか
地域の高齢者というなんかいいかげんなくくりの人人たちが
シルバーリハビリ体操という茨城ではじまったやつ
それを覚えようという人がいればそれは講習を受けて指導士となる
そしてまわりの高齢者に教えていく実践していく
という流れ
「覚えようという人」をどう増やすのか?
そういう「体操」があるということを伝える?
宣伝?
やる気?
まわりを見る?
わからない。
わからないのは人間の心のことである。
より地域がよくなるために尽力するという
かんじの
こころが
あればいいが
そんなこころを外から他者がなにかできるかって
in the heart of a human
をグーグル翻訳にかけたら
「人間の心の中に」と出たが、
しゃべってもらったら
「人間のこころのうちに」と喋った。
うち、の方が、
なんかいいな。