午後

天気が良すぎて
寂しい
 5月は誰にとってもつらい季節なのではないだろうか
オレは12月が好きだいつも
 さむいし
 風呂があたたかい
 
とりあえず図書館に寄って
自主勉をスタートさせたからいのではないか
0じゃないし
 
蕎麦(乾麺)
かってきたが
茹でる気力があるかどうか
 
テレビには阪神広島戦(首位攻防)がうつっている
 
部屋は
涼しい
 
外は晴れて暑いくらいだが
東北は
5月は
日陰をつくればそこは涼しいのである
 
強風
 
よくある
 
東北を今年で去るのかと思うと
どこにいっても
なにも
かわらない本質
日曜になると思う寂しさとなにひとつ叶っていない感覚
 叶う
願いがかなう
 completed
 
なにも揃わず
 
とりあえず生きている
 
新聞の日曜は書評があつまって
國分功一郎
「中動態の世界 意志と責任の考古学」
ラジオで聴いて
本日新聞で見て
ああそういう話なのか
とちょっと知って
アマゾンで注文へ
という流れ
 
なにが大事かというと
人間には意思があって自分の責任をもって自分の行動や思うところを表明してそれで
いきていく
という前提があったとしても
それが通じない世界の設定があるということだ
 
十全に意思を貫くことができる人は幸いであるが
それができない人はいる
コミュニケーション手段にデバイスを欠く人がいる
聴覚障害
口腔運動機能障害
高次脳機能障害
意思形成に関わる前頭葉機能障害
左右大脳の橋渡しを担う脳梁の障害
なんでもありたくさんある
 
知的障害という曖昧な名前でついているような
いわゆるIQの低値をしめす人だって自らの意思を100%主張できているとは思えない
誰でも言語化して他の人間に向けて自分の意思を表明することは
難しい
 
受け取るほうだって受け取る機能がちゃんとしてる人がめったにいない
 
あまりにも脆弱な人間種のコミュニケーション
  
純化すればよかったのだ
生命の維持にかかわる食い物捕食食う食われるの情報だけに
特化する
ような
シンプル警告
 
それだけでは共感機能が満足しなかったのだ
 
女性が強く長く生きるのは共感のベースの中で生きる生命だからで
男性はすぐ死ぬの自爆するの散々でありいきるかちもない存在