ゆう

今日も死後仕事でおつかれちゃん

 

考えぬくことでできることを全部やるしかないのだろう

 

偶然にもきいていたカーラジオで投稿が流れる

妻と結婚したが

妻が壊れかかっている

妻ははじめは猫をかぶっていたがそのうち本性を出して

オレの両親とも(当初の和気あいあいから)いまでは不和だ

愛娘が生まれたが

妻はトイレにとじこもって鍵をかけ

娘に向かって「もう一生ここから出られない!〇〇ちゃんと会えない!」

とかいって娘を泣かせる

あとできくと「そういう表情がかわいいのでわざとやっている」といい

「女はそういうときがある」と女性性一般のことだという言い訳を言う

オレは「愛娘ちゃんを自分の欲のためにわざと泣かせるなんて許せない」

のである

 

という内容のラジオ投稿だ

 

この夫婦に未来はあるのかないのか

パーソナリティは「できることを全部やってなにもかもやりつくして

それでもダメだと思ったら最後に別れを選択してもいいんじゃないの」

と言っていたが

残酷である

 

なにをどうするのかを選択するのは本人しかおらず 

 

選択とはつまり「優先順位の選択」に他ならない

 

責任を負うことができるのも本人しかいない

 

 

 一方で障害福祉サービスや老齢による介護保険サービスなどにおいて

 誰がそのサービスのマネジメントの責任者か?

という話があれども

 

 医療であれば医者(Dr.)が責任者でありまして日本国では

医療行為は医師が行いそれを補助できるのは看護師

 

しらんわ

 

知識あれば緩和医療とはなにかを苦痛を取り除く方法とはなにかを

知って

知ることでavoid または排除できる邪悪な医師を排除できる

 のだが

 

邪悪なものは仮面をかぶっているいつも

 

醜悪な選挙