これは しまおまほさんの 「フリーセックス奨励」にもつながるんだが
(語弊のある話なので背景含めてちゃんと書かないと)
えっと
たまむすび(TBSラジオの番組)での共演関係にある
赤江さん(女性)と博多大吉さん(男性)が芝生に寝転がっていた
ところを写真にとられてスキャンダルジャーナルに取り上げられた件を
ふまえて
”しまお「日本がこのへんをオープンにしていかないと」「みんな”わたしそんなことしてませんよ”って顔をしすぎる」 #utamaru 「(謝罪会見は)カチカチになってきてる」「もっと楽しくオープンにいっちゃおうよ」「もうちょっとフリーセックスになってたらいいじゃないか」「不倫とかするともう”
”「私だって芝生で寝るし」「あれがだめになったら男女の友情が」 #utamaru 「だしょ」 「だってさ、ラジオきいてれば何となく雰囲気わかるけど(たまむすび芝生騒動の件)」 しまおさんの意図は分かったが言葉が伝わりにくい 「寝たほうがみんな顔がわからない」そうだね”
”「赤江さんはたまむすび発でフリーセックスを」 「エロいことを一日のうちどのくらい考えるか」 「これは分かる」 「瀧さんとのお話のときだったんだけど」 「瀧さんは”本当にセックスについて考えてる率”」を 「赤江さんは下ネタを含めた率を」 「赤江さんはそっちの方向で話が合う”
これは書き起こしじゃないのでこれじゃわかんないか
完全書き起こしでも不完全だなあ
まあ「仲良くする」ことを糾弾するのはよくない
と しまおさんは言いたいのだと思うしそれはオレは賛成
しかし仲良くしたい男性とそうではない女性がいると
とたんに世の中は面倒になって
ハラスメント
犯罪その他
になるのであった
倫理の問題はここではおいといて
で
官能小説愛読家のあいみょんが
解説しているその表現のすごさ
という番組はバラエティです
出演者のどの一人としてあいみょんを手籠めにしたいとか思っても
隠してそうなので
あいみょんも相手にしなそうだし
それが確保(キープ)できているのでこの番組は上品に成立しているのである
そしてそこには女性のもつ艶福加減が味わいとして載りきっていると
思うのだった
そういう味付けは人間の社会(娯楽)には欠かせないもので
コレクトであることを
最優先にしていくと 浄化された消毒液くさいものしかのこらなくて
困るのである
オレがプリンスの歌曲が好きなのは彼がそこを重点的に押し進めたからだし
だって現実の社会の一員として生きているだけではそれは味わえていないのだからね
不足だけが文章を書きたい欲の源泉になる