ひる

でもイランじゃおしんブームが来てそれでいまでも

おしんの記憶をもつ方もいらっしゃるんだってさ

詩人の詩のバース(verse)

ペルシア語で語られる詩

いまでもペルシア語である

言語

 

古代(1000年以上前の)があって

今も現存して

 

古代の詩がいまもあって詠むことができるところは

ペルシア語の ペルシア帝国ーイラン・イスラム共和国

英語の イングランドグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国

日本語の 日本国

 

と書きはじめてみてここで

ちゅうごくの漢詩についてなんて言葉で書けばいいのかわからなくなる

漢詩は漢語だと思うんだが古代でもその言い方だろうか

 

漢字で書く詩が漢詩なので

漢語でいいと思うんだけど

漢族だけじゃないしなああそこは

と言い出すと

日本の民族もひとつじゃないくて複合だからなあと思む

 

まあそれはおいておいて西のラテンの言語もあるんだが

ラテン語というものは古代ローマにおいて語られていたと思うんだが

ラテンというのはラテン民族という民族をあらわす語で

いまでもそれは存在するが国家は分裂した

西仏というと

スペイン語とフランス語をあらわすようだが

 

ラテンの語であっても細かく分かれていく

葡語はポルトガル語のこと

 

マカオではいまでもポルトガル語が話されているの?

 さあ

 

ともあれ詩のことからイランに再興味をもつようになり

イランに

いってみたいなと思うのだった

年末年始で5-6日くらいはできると思うんだ

米ドル札もっていけば闇両替でどうにかなるんだって

  

日経BPにオダジマ氏の連載を読みにいった

入院中だが連載は継続している

しかし

「時間感覚の変化」についてのコメントで

入院中は顕かに明かに時間の感覚が変化するんだってさ

つまり収容され管理されていると

月単位とか週単位とかスケジュールドな世界から隔離されてしまう

んだってさ

オレ入院は一泊二日入院しかしたことないからわかんないや

 

でもそうなんだろうね

   オレがこないだ訪問した客先でも

「時間がどんどん過ぎていく」との話をきいた

彼は妻の看病介護をしている定年退職男性である  

ただどんどん過ぎていくんだってさ

 そうなんだってさ

 

世界はどのように動いているのかの実感なんぞは

虚像の重ね合わせの上にしかない

時間は眼に見えるかといえば

季節の推移は眼にみえても

単位あたりの時間は時計を眺めていたとしても

それはあくまで機械が動いているなあだけである

 

移動すると景色の違いを目にするが

移動距離は単位として理解できるかできないか

新幹線と車では速度が違うゆえに移動距離は違う

このへんオレは積分微分を習ったころにメタファーとしてきいた

覚えがあるのだが

積分は「体積」に収束する話ではなかったか

 つみかさね

面積や体積といった「量」のあるデータになるはずだ

 

いっぽうで微分は「単位時間あたりの変化量」であって

削ぎ切った断面を横からみてみるという位相の違うところからの計測

になっていたはずだ

 

入院中に時間感覚が変化するのはそのどちらともちがうような

なにか

にゅるとにゅりゅにゅんりゅと粘性が増してゲル状の物体だ

ゆるやかに時間の狭間を漂うような海の中の動物が触手をふるふると

ふるうううううるるううるううと

動かしているのか動かされているのか

そのような

ただそこに漂っているのではないか

 

他人まかせと環境まかせ

はたなまかせされ

まなからたらさららたらかせている