あさ

もう0600をまわったし朝だろう 

 

くらい

雨だからな

 

雨です

 

気合がのれば長野の奥まで戸隠の奥社を見にいきたいと思ったことも

土曜の朝にそう思ったこともあったが

ドライブでそこまでたどり着くのもなかなかしんどいしガソリンも食う

のであった

それでもいくっていうのが旅で

それならいかないのがオレの土曜だった

それはそれでいいんですよ

 

ううむ

20代の男子が余命3~5年と宣告されたらそらーーーくやしいし

パニックなるでしょうね

オレがいま50代だから「死ぬんならそのまえに遊べる子と遊びたい」と思うだけで

 

それにしても本格的に花粉がきまして

はくしょん

くしゃみと水っぱながとまりませねんえ

薬ありますが

効き目のアレをね

タイミングをね

 

TV

いまのTVは新型肺炎(コロナウィルスCOVID-19)と

阪神淡路大震災(1995)と

東日本大震災(2011)のことばかり

 

政治の愚劣さもちょっとやってる

諸外国を参考にしようもやってる

 

つまり災害と今の災害と過去の大災害を

考える材料に証としているのだと思う

 

たしかに社会としてのいま面前で災害(パンデミック)と戦うことが

とても必要で(なぜならば蔓延すると本当にこの社会は崩壊し崩れ歴史が

後戻りして社会がまわらなくなるから)

 

しかしオレ個人としては個人のことでどうやってこの先の希望を

まだ保っていきていけるかひっしで考えており

余命宣告されたらどう思うかなあというのもその一環で

なぜならそのとき何を「これまだしてない!」を思うだろうかが

それがキーだと思えるので

 

朝日新聞で論壇時評と土曜書評を集めているのもその一環で

要はこの社会とこの世界(現在)についてオレだけの考えではちとバラエティが

足りないから他人の声もききたいし

それが評であって

 

他人の考えは声としてきくのと書かれたものを見るのがあって

ツイッタも新聞もみな読むほうで

ちょくせつ聞くのはレアでなかなかそんなに親密な他人がいない

親密な他人というのが家族であろうと思うのだがオレには家族はいない

実家はあれは家族という言い方をしたくない

あくまで親であって親は実家の親であってあそこはオレの実家であるから

オレの家ではないのである よってあそこにいるのはオレの家族ではない

家にともに住むものが家族だ

 

子はいつまでも子だとかいうがそれは親側から見たときの勝手な言い分である

と思うのであった

 

残り時間が少ないときはトリアージであって優先順位である

 

評というのは その人にとっての世界の見方であって

その人はそこにその人しかいないので

オリジナルである

そう

オリジナル

オンリーワンとは言いたくない