深夜感

なんでしょうねオレには実人生がないみたいなことを

考えていたがそんなんどうでもよく

 

ラジオやTVで形つくられており

あとは音楽と漫画で

 

しかし仕事もしており

仕事が社会とのかろうじて生命線(つながり)なんだが

 

それは 

 

そうしてその後に

 

なにがどうなって絶たれていくか

それは自然に絶たれる

 なくなるだけ

 

深夜感があるとそれは「もう世間などどうでもいいし

オレはここでつながっているものだけでやっていける」と

おもいがち

 

そうではないのだが

 

ゴミだって捨てるためには市の指定のゴミ袋を

入手しないといかんのよ

 

そのために対価(金銭)が必要で

 

おかねはそこらから沸いてくるわけではない

 

対人労働あっての金だ

 

養老先生が朝日の記事というか

インタビューというか

人生不要不急みたいなやつを

まとまった文章にしているのだがそこで

いったい実体経済とは何かみたいな話が出てきて

 

大学で研究していてそれでも金が入ってくるのは

いったいどういうからくりか

 

という話であの絶対悪たる竹中が出てくるのだが

 

しかし竹中は脇に置いておいて

 

実体経済というやつ

 金銭の授受つまり流通

が繰り返されているマーケットたるものを作って構成して日々その

血液たる小銭や札を受け渡し交換し続けているのは人民であって

 

それは食うためでありその他生活人間の活動を成り立たせるための

物品を購入しないといきていけない

(トイレっとペーパーは食うものではないが

排泄を適切に快適に拭うための物として消費することが必要)

 (インドやタイ式で水で流すことを前提にしてもいいんだけど)

(左手を不浄ときめつけて手で洗うことはたぶん日本には根つかない)

(やってみると気持ちいいともいえるけどね)

 

インドはインドはなにしろ暑いうえに乾燥しているからこそすぐ

濡れてる地と手は乾くんだけど

 

灌漑や水輸送の水路とか

 

えっと

 

もどして

 

つまりお金の流れは経済を人体にたとえた循環系のことであって

 

人間のどうしようもない消費(交換)が

やり取りされるからこそ経済は実体として成立する

 

それが基本

 

単位が小さいとはいえマスだから

総計ではものすごく大きい

 

そういうマイクロなもの

 

マイクロクレジット

 

バングラでも

 

貸付

 

とても小さい単位でも人民がたくさんいれば

ビジネスとして成立する 

 

 スケールビジネス

 

 スケールメリット

 

実体としての経済が「成立している」ということは社会が

いろいろな部門をのみこんでも成立するだけの

動的な力がそのまま保存できる状態にあるといえる

いうなれば 

即マネタイズできる部門もできない部門もそれなりに全部

のみこんで

成り立たせる(日々の水や食料のように金銭をそこに注ぎ込む)ことが

できる社会

 

マネタイズの遅れがあったとて最終的には

結果として回収できると踏んでいるから

ゆっくりとすすむ部門であってもそこには報酬を(先払い的に)

供給することも可能(余力)

 

経済はそこかしこに時間の操作を持ち込んでいる

 

先にこうなるだろうという予想をコミにした商品を購入すると

それはあとで経費回収する

 

さきんじて購入したメリットが剰余

ということなんだろうなきっと