ゆう

それにしても本当に

 

今日は雨が降って止んで降って止む

いままた降っているそれもいきおいよく

 

夕方に風呂はいったら眠くなったので

若草物語をみにいくのはやめた

来週の「はちどり」は確定しているが

若草物語はいつかどこかで弐番館三番館で上映されたらみる

 シアーシャ・ローナンのことは好きだが

 オレが応援しなくてももう大成している(オタクにありがち)

 

家かえって大相撲8日目をみる

錦木がさっぱり勝てない

2-6

つらいなあ

照ノ富士が優勝してくれるとスカっとするんだけど

 

貴景勝も5-3とぱっとしない

カド番は脱出できるとおもうが

クンロク大関とは情けない

そこまでいけるか

 

読書もすすむ

「日本の中のインド亜大陸(ry」

も ちょっとずつ進んでいる

「土の記」は(上)のおわりのほう

なんかいろいろ明らかになってきた

時制というか流し方というか

記述の順番で

最初のほうでは主人公伊佐夫の認識がはっきりしていなくて

妻の昭代は不倫していたかいなかったかはっきりしていないが

ここにいたって

稲刈りのころ

もう他者の声で不倫だったことははっきりしている

(昭代の妹からそう言われて)

だから主人公は知ってたことを改めて認識にのせただけなのだ

それまで意識下に隠しておったのだ

そうだろうて

不倫妻を

見限って離婚しようとしてしようとしてできなくて

できなくて

 

雨が強い

土の記は

湿気の強い小説だ

 

農耕と不倫と孫だ

孫はひょっとしたらテニス選手になってアメリカに永住してしまうかもしれない

 

そういうのかっこいいとも思うし

そういう人生ってどういう人生かなって思う

 宇多丸氏がいっていたのは

映画は

味わうことなどぜったいできないような他人の人生のことを

まるで自分がそうしているかのように味わうことのできる

こと

だから面白い

というが小説だってもともとそういう他人の人生をまるで

自分がそれを生きているかのように思えるいい装置なのだ

 

吉里吉里人を読んで古橋が感じているアドベンチャーをまるで

自分の経験のように味わっていたのも懐かしい

仮性包茎

 

後になって岩手県吉里吉里(大槌)にいってみても

その面影などはないのだが

フィクションだからしょうがないです

 

農業に興味をもちはじめてから

道の駅の産直もすごい品ぞろえが気になったりする

 

最終流通ですから