もうだいぶ傾いたけどね
ラジオ
車で
とりあえず
オードリーのANNとかきくわけだ20200809
なんだかね
若林は狂っている様子をラジオで出してもいいと
思っているのは春日への甘えだ
とか
誰かいわないのかね
あれが面白いと思っているのかどうなのか
オレにはあまり面白いと思えない
まあべつにオレはリトルトゥースでもないし
かまわない
じゃあなんできいているのか
さあね
よくわからん
あちこちオードリーだって文句言いながら毎週みている
そうね
そこがひっかかりというものだ
フック
社会は
変わっていくようでもあり
変わらないようでもある
戦争をどのように扱うかの最大の目的は
「再発防止」である
戦争なる多大なコストを蕩尽してしまうような人為災害は
味わいたくない
だから再発を防止するために研究もするのである
人倫にもとる
というのは「たてまえ」であり
本質的にはコストだ
憎しみから生まれるものはたいていろくでもない
人倫なんて高級なものは人民には理解できない
そもそも倫理といわれて「倫理ってなに」ときかれて
「ことわり、人はそれをまもったほうが人らしく暮らせるためのもの
だよ」
と言ったところでその言葉が理解されるとは思えない
理と書いてことわりと読むという読み仮名さえも
清水先生が「倫理学ノート」を書いてその中で
結局は
人間のもつ可能性
という意味で後期ヴィトゲンシュタインの研究にもかかわっていく
清水幾太郎先生です
他者とは
わかりあえるか
21世紀はどんどん「わかりあえなく」なっていく
そういう年月がいまのところある
コロナ時代に至ってますます
人と人は遠くなっていく
SNSはただの言葉の垂れ流しで
言葉は人間同士の理解を促進しているかと思えば
分断を促進していることもある
そんな8月15日
SNSで高齢者が自分の戦中戦後について自分のことばで
語るようになっている
それはある意味で唯一の救いであると思う
個人が出版などのフィルタを通さず直にあからさまに
発言できることのメリットである
それだけはまあ事実