ゆう(2)社会的に意義のある人間って何だ

”それでもまだ社会的に意義のある人間であるような感”

 

さっき書きましたが

本来的には人間はそこにある(在る)だけでもう

いいんだ

価値のないことの峻別なんてのはなくて

病気だろうと仕事がなかろうとなんでも

意義はあるんだ

 

という正統的建前があるわけですよ

それをオレが信じているのか信じていないのか

 

つまり

なんだー

オレが自分について考えたときに

仕事を失って(つまり高齢化)

家族も無く

貯金を失って

アルコールを飲みだして

他人から蔑まれる(あの人ダメねえ みたいな)

というようなわるい予想とかしてみて

 

そうなったときにそんなオレを

それでも意義ある人間だと言えるか?

そらー自分自身としてそういう堕落が

いいものとは言えんだろ

 

なんだ

なにを考えているのか

なにがどうでもそもそもの

ことは変わらない

ような気がしていたんだけどなあ

 

そうなると

「生まれつきの障害があって

障害ありすぎて悪いことさえも自由意志ではできない」ような

人間こそがもっとも

無垢とか輝きをもっていられる無罪の

そういう話になっていく

 それもまたおかしなことだ

 

たかぎしの喋り方を真似てみようと思ったこともあって

それはあんがい耳の遠い人への喋りで

役にたつこともあるんじゃねえか