あさ2

「のんびりしたい」という

きわめて具体的ではない漠然とした概念があって

 

具体的ではないのでだいたい実現しない

 

のんびりする

の中には

感情として

「落ち着いた 他から侵害を受けない 身体も精神もリラックス」

などのものが入っているが

それってなかなかたいへんなことで

ごろごろしていても貧乏のことは

脳に侵入して

「貧乏だとそのうちみらいに未来の空腹がくるかもね」

とか囁いているのであった

未来を完全に忘れることができるのは

強烈な

非日常体験だけだ

 

あそこにいきたいけど

運転は面倒だとか

 

運転の面倒さを覆すのは行き先にあるたのしいことの強度

だけでしょう

 

みたいな

 

いちじきラーメンをたくさん食っていたが

ラーメンの「楽しさの強度」が

どうもいろんな要素で

下がってきている

というか

 

基本的にはSNSが無しで

自分でさがしにいってこれおいしいと

思えばそれだけでいいのだが

 

SNSで「ああこれうまそうに撮れている」他人のくった他人のラーメン

を見ていると

それを

「食いたい」と一瞬おもう心境と 

 

それに対して

店を知る 場所を知る 営業時間と休店曜日を知る

駐車場を知る

混みあいかたを知る

駐車場のあいている瞬間をみつけてそこに駐車する

並ぶ

待つ

限定品だと売り切る前にいかねばならず

 そして

 

そういった多くの数多くの関門を潜り抜けることを

かんがえると

そんなんもうええわと

 

放擲してしまうのであって

(これは「ほうてき」だな

 これまで「ほうちゃく」だと思っていたが間違ってたわ)

 

そういうのがあるとラーメンはもういいですとなり

 

なぜ登山やキャンプがいいかといえば

キャンプ場こそ満員になることもあるが

選べば

山も選べば

そこにいつもあって

オレとその場のそれだけの関係性なので

 

オレがそこにいきたいそこで過ごしたいと思えば

それだけでそれを実現できるからだ

(もちろん体力や物品などいくつかの条件はあるものの

基本的にそれらは他人の意向や人数には関わりなくオレが

克服することがなんとか可能であるものだから)

 だから

そうしたいと思うんだね