いま改めて考える「ものすごいこと」

たとえばですね

 

お仕事(現金収入)は

ぎりぎりくっていけるくらいのぎりぎりと

しまして

趣味に没頭するという人生があるわけです

 

たとえばこないだマツコの番組にでてきた

学習参考書コレクターの方は

ほんとうに受験浪人のときの自分が最高で

ずっとそれをおいかけて

学参を買いあつめたコレクター

問題の難易度とか

クイズ的要素とか

あとは珍品

国会図書館もこれはあつめていないんだぜという快感

ありますよね

 

あるいは将棋

悪魔的魅力のあるゲーム

実際誰がつくったのかわかっていないゲーム

こないだ久しぶりにみてたNHK杯のETVでの早指しも

本当に面白かった

あれにはまって

休日は朝から晩まで盤面と向きあうということも

できなくはないのである

好き

なら

 

つまりそれが彼彼女にとっての「充実」

ある

 

それがいちばん面白いから

 

フェルト刺繍にはまる人もいろう

 

あろう

 

なんでもいいじゃんねえ

 

LIFESPAN

なんだかんだ読んでいる

この人のは最終的に「方法」を

著述する気があるのだろうか???

 さあね

 

ものすごいこと

趣味としてずっとそれをやっているうちに

そのコトの

奥の奥にある

ものすごいことをみつけてしまうと

 

もう

離れられなくなる

やめられなくなる

一生つづけてしまう

 

あるいみでは酒のんでそして死ぬまでのむというのも

それはものすごいことだ

とらわれるくらいに

思っているのだろうか

 

たんなる依存症と趣味への嗜癖の耽溺は

どう違うのでしょうか

もうやめられないというのは同じだと思うんだけど

 

ちょっとだけちがう?>

たのしめない?

苦しい?

趣味に没頭しすぎるのも苦しかろうて

バランスとかね

ある種の健康維持とかね