iroiroつながれつながりあわさって

今朝は車の中で新聞をよみカフェオレをのみ

していたのだが(それはローソンの駐車場でのことだった)

 

・さいきんHULUでよくみている なろう小説原作の アニメ化された

転生したらスライムだった件 でのいくつかのこと

(1 このアニメでの「語り手」は誰か? 焦点化された「視点」

 2 このアニメでの主人公スライムの「声」はじめは人間だったときの声とスライムの考えとしての声 そしてスライムが他者へ音声を語ることができるようになってからの声)

・「批評理論入門」(中公新書

・ギガジンの記事”声を正常に発せられなくなって気付いた「声の力」とは? "

https://gigazine.net/news/20210213-voice-injury-notice-power/

 

音声コミュニケーションは感情をともなうのだがそれは

音声の

大きさや 抑揚や 大小のコントラスト 高低 その他の演出によってもかわるし

 

それは物語という形で他者へとつたえられるときの演出やその他の方法によってもたくさんかわる

 

音声で語る人はライブでその場で語るが

 物語は音声の再生や アニメや 文章や それらを複合したものに

よって再生されたりまたライブで演じられたりいろいろするよ

 

なろう小説 

 

そこにある「もっともらしさ」と

「素人まるだしのいいかげんなリアリティレベルの混乱っやら」

とか

なんでもそうだけど

 

ひとりごとではなくて

他人に「伝える」ことの中にあらゆる工夫があって

それはきっと

人間が音声言を喋りはじめた瞬間からはじまっているんだろう

 

とか思いました

 

転スラなんてとくにあまりにも既存のファンタジーものがたり

からベースとしての世界をかりすぎているので都合が

好過ぎるだろうと思われることをいくらかでも回避しなくてはいけないし

 大変だと思む

 

 それはオレが今期みているアニメにあるいみ共通しているようなしないような

 

ゆるキャンは実写にもそのまま転写可能なくらい

現実の日本の現代の女子高生を扱っているものの

 

実際には冬はがまんできないくらいの寒さがあったり

ギアを買う高価である問題や

火をたもつテクニックなどなどあるのだが

 

友崎くんは現代の日本の高校生のある姿を

転写して埼玉県においているのだが

ドラマとしては現実にある人間の話すことや反応のコードを

なぞっているしそうでなければうそうそになってしまう

リア充であるやつらが自分がリア充であることを自覚している

あたりは

本当にいまのそのような人たちってそうなの?

と思ってしまうがオレはそれはしらない

 

転スラと蜘蛛ですがについては完全に「日本で流行っているファンタジー的魔法やスキルやたたかいかたなどのベース設定」の上にのっかっているところではあるが蜘蛛は死にそうになったときにどうするかのサスペンスがあるのにたいして転スラはチートに見える

実際はチートの問題はどのくらい苦労しているのかの細かい積み重ねの上にあるかないかの描写の納得できるか否かなので

人によってはこれでもいいのだと思むところもあるだろう

あるでしょうね

 

なぜ怪物はコドモを殺そうと思ったのか(それは復讐のこころ)

という理由付けに納得いくかいかないのかは

特にあまり大きい問題ではない

そういうものだと思えばいい

お話を

読む

態度として