お笑いが好きなのか

家に帰ってきたら録画をチェックしたら

向上委員会に

パーパー 蛙亭 納言

の3組がそろっているのをみてああいいのを録画しといたな

 

と思った

 

さっきの「文學界」の若林の話もそうだが

 

 オレはお笑いが好きというのと

お笑いの周辺にある考えかたとかなにかが好きというのと

両方あるような気がするのだが

 

それは文系こじらせみたいなのが好きという感覚というか

 

それはこじらせなのでなかなか表しにくいのだが

 

つまるところ脳内で自分と対話をえんえんとすることのほう

である

 

山里氏がノートをえんえんとつけているのもそれの

一種だと思うんだけど

 

若林が文系こじらせなのは明らかだと思うんだけど

それの決め手というか

もしそれをカテゴライズするとしたら

何を条件として箇条書きすればいいのか

ようわからん

 

しかしまずは

メタ視点

だろうと思うし

 

結局は

こじらせというか

「お笑いスター!!」にはどうしてもなれない

絶対になれないんだ

ではどうするか

 というところが出発点で

 

どうにかして春日というモンスターを

バカにでもわかる形に仕立て上げるかを考えた

 

ところに

お笑いとしての特性があるのだとすれば

 

南キャンだって

しずちゃんを強奪してきてさあ

どういう演技でいくか

を考えたのは山里氏である

 

かれらみたいなのが「何を考えているのか」

「何に興味があるのか」が

面白そうだからJUNKもきくし

ANNKWもきくのである

 

なんか偏見なんだけど

バナナマンとかはそういうこと

何も考えていないような気がするんだ

 

なにがそこに分け目になっているのだろう

(オレのみている意識として何が分水嶺になっているのか?)

 

まあ知らないことはたくさんあるんだけど

 

でも

第7世代の人たちは好きで

面白いと思うし

パーパーとかこの先どうなるのか気になるし

 

蛙亭とか

実際問題として

たとえば岩倉さんがひとり喋りをするラジオの時間を

与えられたとして何を語ろうとするのか興味ある

 

お笑いラジオは

実際何なのか

 

伊集院が毎週なにを喋っているのか

 

それがどうして「面白い」といえるのか

 

佐久間PのANNにお笑い芸人がやってきて

なにか喋るのだが

他の芸人について喋るところがおもしろいと

思うんだ 

 

今日は

チョコプラ松本穂香のラジオにきていたのだが

松本さんがもうすこしお笑いの人というものに

興味があればよかったのだが・・・

 

知識欲というか劣等感というか

なにかをものすごく貪欲に

見て吸収するとか

徹底的に考えるとか

それを他人に見せる方法について

どういう方法がいいかを考える

 こととか

 

伊集院がよかったのはなんでもとにかく

やったことをラジオで喋っているうちに

いつのまにか100分で名著になってしまったところで

あれだって先生の話をきいて伊集院が

自分なりの理解をTVで喋っているのであって

あれがつまんない理解だったらTVだってつまんないのである

 

考えることについて考えるのが好きと言えるのが哲学の人だと

思うのだが

およそ哲学の人が哲学のことだけ好きといっているのでは

哲学は成り立たず

あらゆるところに応用が可能なくらい好きでないと

哲学が好きだなんてとてもいえない

と思う

 

お笑いのそれが

お笑いのことを考えることによって

世の中のありとあらゆることはお笑いの形でも

表現できるということが

お笑いについて考えることの結果ではないのか

だからチョコプラの芸は有吉の壁でことごとく面白い

 視点

やりかた

「出し続けるしかない」とチョコプラ

松本穂香のラジオで言っていた

 

考えることについて考えてそれを字で表現するのは難しいね