映画「おらおらでひとりいぐも」について

ストーリーがあったらいかんのか

ストーリーがなかったらいかんのか

幻想を具現化したらいかんのか

いいのか

それは主人公だけがみえる幻想なのか

すべての人がそれをみえるのか

 

そうした様々なことはルール化されていないので

無軌道におこなわれている

 

最初にオレが気に入らないのは

「寂しさ1,2,3」と名付けられた

主人公自身でもある分身

男性の身体をもって

ばばあの服装をして

コドモのようにさわがしくいたずらに行動するところ

しかもその中に宮藤官九郎がいる

他の二名はわからん(しらない)

 

賑やかな自我との対話なのだとしても

そこに不快感を感じるとそれを見たくなくなってしまう

どうするのがいいって監督がそれきめたのか

原作がそういうふうに書かれているのか

そこまで知らない

 

ケチをつけると面白くなくなるのでここからさきは

どこが面白かったかについて考えたい

 

というかオレは女優をみにいったので蒼井優さんを

みたくて

いった

 

この映画はファンタジー(でもある)

主人公の若い日の姿は蒼井優

 

見合いして気に入らなくて遠野をとびだして

東京で住み込みで職みつけて

そこに通っていた男をつかまえて結婚する

 

家出だったら戸籍とかどうしてたんだ住民票は

とか 気になってしまう

もちろんファンタジーであるこの話ではそんな些細なことは

描かれない

 

若い蒼井優若い女性としてはしゃいだり

踊ったりしている

 

そのへんは堪能できる

 しかし

しかし夫となる人をつかまえてすごくラブラブだったか

愛の日々だったかというとそうではない

 

かなり省かれる

 

そして最終的に息子は家にこなくなり夫は死に

娘はそのへんにいるが疎遠で金をかりにくるくらいのものだ

 

じっさいこの映画はストーリーらしいストーリーがないので

日々の出来事があって

図書館にいくこととクリニックにいくこと

が行事としてあるくらいだ

あとは

謎の「寂しさ」が出てくるくらいのもので

 

一戸建てなのでとくに客はこない

車のセールスマンくらいのもので

あとは警官

 

老化

 

オレが映画をみていて少々苛々していたのは

オレもまた老いるわけだが

老いをつきつけられるのは誰にとっても

怒りで反応するくらいしかできないのではないか

 

桃子さんが古生物に惹かれるのは

とくに理由が描かれない

 

ともあれ一人でいきていこうと

 

夫の付属物ではなくて

みたいなことを

 

思う

 姿が描かれるのだがそれは

別にそういうことをもともと考えていたわけではない

 

実家を出てきたのは単に見合いがいやだっただけで

独立して自由に生きることを信念としてもっていたわけではない

だから老人になって急におもいついたようにみえる

 

たのしいかたのしくないか

 

図書館のうけつけに3回さそわれて3回目に

やってみようかしらと

受諾するんだけど

それを行っているシーンはない

 

断片があればそれでいいのかと思ったら

 

さいごのほうで

 

娘に

ほしがっていたフリフリのスカートを縫ってつくってあげたら

無理やり着させられていやだったと後年に言われて傷ついた

という話を置いて

 

そのあとさいごのさいごに孫が

「おかあさんは    方言がでる」

と思いがけず主人公本人からつながるエートスを感じて

 主人公がそれを感じているところで映画は終わるのだが

 

じゃあ何がそもそもの柱だったのか

柱がないタイプでいくならそんな

「娘から孫へ」と流れていくものなど必要ないと思うのに

と思ってしまう

 

そんな文句ばかり感じるが

 

オレがあの「寂しさ」の3人にすごく苛々したことは

特記としてのこしておくといいと思う

 

とくに「大人がニヤニヤしてふざけている姿」を

意図的にやっているのを見るというのが

害悪くらいに思える時間だった

 

なにもそんな意図はないだろうと思うが

 

ひょっとしてあれがユーモアのつもりだとしたら

悪趣味だなあと思うだけだ

 

悪趣味というのも言葉のつかいかたがむつかしくなった単語だなあ

 

見にいく映画がぜんぶ大傑作であるわけもなく

いろいろあるさ