あらためて

オレの仕事(Physical Therapist)

キャリアとしてまもなくおわり

だという

そうそれは

オレがいつおわるか決めるんだけど

 

結局のところオレがそれの総括または

「何がいちばんよかったか?」を書き残すのだとしたら

 

生活としては

ここで生活を「生きるための」とすれば

仕事をつうじて愛おしく思うようなおもひでができたことだし

(それは間違いなく死ぬまでずっと記憶にのこって輝くであろう)

 

技術と感情という意味では

仕事をつうじて他人と会話するということの

他人を(ちょっとでも)理解するということの

他人とのコミュニケーションを会話で起こすということと

コミュニケ―ションをおこし難い場合でもなんらかの交流がありうる

ということ

会話はそれ自体が楽しみでもあるということ

つまり雑談

SmallTalk

人間は他人を必要としているし

他人から学ぶことがほとんど全てともいえる

(サザエBOTもそう言っていたはずだ)

他人によってしか本人は変わらない

変わらないものは朽ちるし

そういう意味でオレは古書店バイトをやめてPTを

資格取得を目指すときにそれまでのオレが

いかにも他者とかかわらなくていい職ばかりを

めざしてきたことによって精神が荒野になっていたこと

への反省から

他人と関わる職をめざして社会復帰したかったんだ

ということを改めて思い出すとともに

その目的は一定以上に達せられた

ということを少しは喜んでもよろしい

 

しかし危ない橋でもあったわけで

長野県でただ働いてそのまま静岡県に戻っていたらば

おそらくはそれは達成できないのである

どう考えても岩手県で修業したからいま生きていられる

のであって

岩手県には足をむけてねむれないのである

(だからいまは足を北の長野県に向けて寝ているのである)

 

そんだけでもまあ生き延びた甲斐があるというものだ

そう判断(裁定)できるだけでね

 

シンエヴァをみることでオレにとってのエヴァ

おわりということができる

(オレはそういう意味ではシンエヴァの肯定派であり

 あの

「気持ちわるい・・・」

が最終的に回収されたというだけでもシンエヴァの価値は

値千金であるとオレは思っている(オレにとってはだけど)

 

自己回帰の何がわるいである

そんなんあたりまえにすることだ

 

アーレントはもうちょっとちゃんと勉強しよう

たとえば

アーレント『人間の条件』を超コンパクトに要約する | Philosophy Guides

みたいに

 

令和の日本は少しは昭和より

マシになったのか

 

少しはマシだと思うね

 

そう思うしかない

 

というかべつに昭和が輝いていたなどとはツユほども思ってないから