ひる後

昼はラーメンショップにいって

葱味噌叉焼

をたべた

おなかいっぱいだ

家にかえってきて歯を磨く

(ネギが歯にはさまったのをとる)

 

モールの書店では「小説読解入門」を買った

「批評理論入門」を読みおわったからだ

これもツイッタでの人の紹介からのそれだから

ツイッタさまさまでもある

 

アメリカ短編小説のラジオも

ツイッタの終風先生の紹介だった

 

ツイッタにはいろんな話がのっている(なるべく

いろんな話がはいってくるようにオレもTLの

組み立てを工夫しているし

ツイッター社も「トピックをフォローする」の

仕組みをつくっておそらくはランダム性を

上げる仕組みをつくっているのである

オタクこそがツイッタの廃人になるとわかっているのである)

 

マンガについても

かつて修業で「スピード線(効果線)」を描けるようになるまで

本当に時間をかけたのに

いまの子はソフトをつかってPCタブレット等で

簡単に書いて簡単に修正するのである

 

ラジオの録音で

諭吉佳作/men

を聴いて

彼女(ソロの静岡県人である)

の音楽のはじめはボカロで

インパクトはコーネリアスだという

コーネリアスを聴いて

耳が気持ちいいということがわかり

そういう気持ちいい音楽がつくれる気がしたんだと

そこがまああれだ21世紀だ

 

ピアノはやったけど挫折した

でも打ち込みだったら手の精巧で巧緻な動きがライブでできなくても

音楽をつくることができる

しかも

好きなもの

脳内のイメージを

ソフトウェアに

なじむことで

すきなように

つくれるのだ

 

もちろんソフトに対する理解とか

その音の何と何がかさなったらそうなるどうなるという

なにか「設計」に関する脳の使い方はしていると思うんだけど

ともあれ

古典的な

生のがっきからはじまるということが

なくてもいけるような世の中になった

でも

声をだして唄うことは

続いているんだね

 

小説はどうなのかな