疲れてるだけあってできがわるい
まあいいです
楽しい可能性をもとめていきているの
そうでなければ生きている意義などない
寝る
変える(ことを恐れない)
やってみても無駄だとは思わずにやってみる
楽しむ(研究を)
いわばぜんぶなんでもやってみることは
研究の一環
その言葉はその他人には届かないだろうなと
思ったとしてもそれを
言い方を考えて言ってみること
だいたい
予想とはズレた結果がかえってくる
そのズレがオレの知っていることと知らないこと
(その他人について)
の差異だべ
元ネタのツイート
これ慶応の研究室ガイダンスの資料らしいんだけど、人生に通ずるものがあるから読んで欲しい
— いく夫🐘 (@ikuogakuruo) 2021年6月20日
裏垢にすら当てはまる『初対面の人に寝不足で会わない・ヤバいと思ったら距離を取る・笑われる可能性を恐れずフッ軽に・何より楽しく過ごす、楽しくなくなったら休む』
私もこれが生きるの基本だと思ってます pic.twitter.com/OP3c7O6hE7
バズってるねえ
なかなか他人のいる世界は難しいんだよ
他人のいない世界で生きてきたことないから知らないけど
まあつまりまだ生きてくことは他人がそこにいるという
こったな
それにしても老化と認知症は避けようのない現実
なんかね
事態を
認識するときに
勘違いしてズレ認識したりしているんだが
そのズレかたが
ナナメ上にいっているというか
奇想天外なことを
本人は当然であるように認識していて
外からの指摘(それ違ってるよ)を
ほとんどなんか受け止められないのか
聴こえないのか
わからないのか
別に恥ずかしい感じでもショックをうけたでもなく
適当にスカしているのであった
そういうのが老人のそういう姿
そういえばべつやくさんが
べつやくさんの父(別役実)
についてその老期のすがたとかありようについて書いて
いたのもそんな感じだった
とらえどころのない
しかし
なんか変なことを言い出す
かんじ
他人のどう思うかとか
他人の苦労とかには想像力のおよばなくなっている感じ
要は
きめ細かさがなくなっていき
独創が方向性を失っていく
それがいい方向にたまたまフィットしたのが北斎
みたいな
たいていの老はもうだめだね
と
オレが老になってそう他人から思われるわけで
気にしないというかできないというか
できなくなれば分からなくなる