あとは何を考えるかで
考える時間をつくるというのは
脳髄のええ感じを確保するということで
かりものの言葉でもそれはいいものはいい
喫茶店できょうは
えなこ表紙のWPBを読み
宇垣総裁コラムが寝る時間をけずって無駄なことをしている話で
いわく
電子書籍で昔読んだ漫画をまた買って風呂でのぼせながら読み
金田一少年の事件簿で6人の死体を7つにみせるほうほうとか
宇垣氏
楽しそうだ
いわく
ニーチェのことばで
起きている時間のすくなくとも3分の2を自分でコントロール
していない者は
奴隷だ
というのである
そうなんだね
そう思うよ
いい言葉は外からやってくる
今日の朝日新聞
津村さん(作家)が
カイシャのことを書いていて
いまはもちろん作家なんだけど
会社で無駄な雑談ができるということだけはよかった
と
書いている
雑談の効用はいかにすばらしいか
オレには自明なんだけど
言語化したほうがいいよね
あとは「ケア」の
他人に向かって他人のためになにかをすることは
それ自体が
自分のためのことでもあるということ
歓びもそこから生まれることがある
だからケア労働は成り立っているのだ
というこれもまたcare労働をしたことのある人には
自明のことなんだが
東畑氏が「居るのはつらいよ」で
はじめて「そこにいること」だけの効用について書いたように
(宿題本なのでまだ買っても読んでもいないけど)
そうだね読むべきだ
居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく) 単行本 – 2019/2/18
東畑 開人 (著)
これです
(リンクなし)