雨つよい
新聞よむ+「音楽の泉」きく
のを車の中(ローソン駐車場)で
やって
まあWi-Fiもありますので
ローソンありがとう
一旦帰宅
新聞だが
日曜なので歌壇俳壇がのっているのだが
今週はとくに
なんかこう「家族」とか「悲しい」とか
「親と子」とか多くて
そんなに多くていいのしかも複数選者の選もあって
これの原因は3つ考えられる
1 総数として短歌の投稿総量が少ない
2 特に松田・山添両家の投稿が優れている
3 選者が意図的に松田・山添両家の投稿を選択している(なんらかの理由で)
量(count)
質(quality)
好み (choice based on one's favor)
こういう感じだろうか
もちろん真実などはここには無く
しかもそれは明かされる構造にもないので
なんら闇の中である
なんでもいいのである別に1新聞の投稿欄が日本の
詩歌界全体の現代の様相を反映しているとは限らないのだから
とはいえ一定部分反映しているともいえる
まあなんでもいいんですけど
話しを戻すと
よろこびやかなしみという
感情は
大きいし力も強いので
詩歌の表現の題材として
取り上げやすいのだろうか(^^{^^そう思ったから)とりあげた)
しかしもっと淡いなんというか「これに (普段は目にもとめないのに) 気が付いた」
というもっと淡く小さく微かなものをみつけた詩歌もあり
それは小さくて感情のゆらぎも小さいかんじなんだけど
詩歌の中ではそれを表すことができる
のだと思うのだが
なんでもいいけど
こちとら家族のない身なので親とか子とか情愛とか
喪失とかそういうテーマが
本質的に「それはオレのものではない」と思いたくなる気持ちとともに
あるのだが
それはいっぽうで「オレのものではない という関係性」が
あるわけですねマイナスの関係性
0ではない
しょうがないオレも人の子であるし