恋愛にう

さて今日読んでた記事2つに恋愛という共通点があり

どちらも

近過去(昭和末期からの)のテレビドラマや映画を

使って日本人の恋愛についてのそれを

考え方を

世情を

ネタにしているかんじがあって

いや真剣な対談なんだけどね

どっちにも赤名リカ(カーンチ!セックスしよ!)が出てきて

そして留学という形でいなくなる

それは「結婚という生まれ変わりを選ぶのではない女」

だったのだそうだ

 

さて何を読んだかというと

県立図書館でかりてきた「現代思想

2021 9月号 恋愛の現在

討議 これからの恋愛の社会学のために (特集 〈恋愛〉の現在 : 変わりゆく親密さのかたち)” 永田夏来 高橋幸

 

 

文學界 2021 11月号

西森路代 柴崎友香

【新連載対談】「“恋愛"の今は」
変化する恋愛の描かれ方を、様々なジャンルのクリエイターと考える連続対談

柴崎友香(第1回ゲスト)×西森路代
「ドラマの中の恋愛はどう変わってきたか?」

 

この2つを連続して読んだわけですね

 

文學界は買ってるけど

現代思想はかりてきた

 

永田ナッキー先生はLIFE(ラジオ番組)でおなじみですが

西森さんもそうですよね

 

永田高橋対談では恋愛ということが「関係性をつくるというそもそもの原点」

に話がいくのであるつまり

結婚が日本の家庭のゴールだった時代はおわり

人間はそれでも結婚にこだわる思想は消えず

そこには

関係性が

もっとそれぞれの

結婚などという重いものによらなくても

それぞれ分人みたいに

ちょっとずついろんな人と知り合いになったり

承認を一人から得ようとはしないような

もっと重層的というかレイヤーがいくつかあるというか

そういう局面があるんじゃないか

 

という話と

恋愛はそもそも

性的な欲求の話か

家族をつくるという社会的なクラスタ作りの話なのか

社会からそれで承認を得るという話なのか

(いまでも恋愛しているということがいわばまともな大人という

パスポートを得ることと同義と思っている人もいるという話)

社会学的にもそれぞれのケースだけあって理論の支柱がないという

話しをしていた

 

文學界のほうを先に読んだのでちょっとわすれかかっているが

印象としては

なにしろ「ドラマの中の恋愛」ですしおすし

いろいろに話がひろがっていくのだが

ここでもやっぱり「結婚という規範」が

あること

薄れてきたこと

しかし今でも強くあること

などが印象にのこる

その話はせざるをえない(無視できない)のである

令和日本では

 

あとはまあだんだんと

男性性も変わってきているというか

特にどこでも言及されると思うんだけど

「ドライブ・マイ・カー」において

”正しく傷つく”つまり傷ついたことを無視するのではなくて

ちゃんと受け止める(他人の助力を得て)

ということがとても重要であることが

語られていて

 

村上春樹は定期的にそうやって人の心の問題に

あらわれてくるからなあ

 

オレも

今日はジムのかえりに運転していて

「遠い太鼓」での

イタリアの友人が凄く小さい村の育ちで

父母が

すごく

嫌いあっていて別居していて

なんなんだ

という話を思い出したよ

 

人間は結婚からなかなか逃れられない