あさ2

YJ買って車で読んだ

 

図書館に賭けるのはリスクあるけど

まあ

時間くらいだからな

金は失わない

いいことです

 

気もちやそのとき見たいものを優先しないとこの

期間はのりきれない

まあ

のりきったあとというのが

どういう状態なのかのビジョンがないのだが

思えばないままやってて

なれっこといえばなれっこ

である

 

そもそもリスク(最悪想定)が

もうそんなに最悪でもない

(どっちにしろ最終的には死ぬのだ)くらいの

感じなのだが

これはあのMさんのそれではないか

まあなかなか大きい影響を

与えている(与えられていり)

とう

ものなのだな

 

別に生き残ること自体に価値があるわけではなく

生きててもとくに価値のない人間というのは

いるもので自覚しているオレがそうだ

というのは「オレは特別な人間ではない」ことを

長い時間をかけて分からせる(forced to be understood by myself to myself)

英語の構文として変です

何を理解させるのか書いていないからだ

もちろん

「オレは特別な人間でない凡庸な三流のどこにでもいる掃いて捨てるような

人間だ」

ということですそれを理解させる必要があって長い時間をかけて

理解させるようにしむけている

そうではないと生きていかれないというのがある

 

そうだろう

 

まあ読みたいものがあって書きたいこともあるというのは

いいことかもしれない(そのためにまだ生きているということがある)

すくなくとも誰か読むだろう

なぜならば

「特別に無価値である」くらいの誰も読まない

ものではなく

「無価値というほどではないが凡庸である」くらいのもの

ううむ

 

これもまた編集のアレが

介在しないかぎり読まないのでは誰も?

 

しかしそうではなくてただ置いておくという

形式もこの世にあらわれた

(いんたーねっつの力)(場所)

 

これが21世紀の謎