仮説のつづき2

まあしかしそうやって社会は変わり

日本は相対的に貧乏になっていき

しかし実際には通貨供給量

増大しているのではないか?

(要出典)

だから全部が貧乏というわけではなく

額面では

多くあつまるところはわけわからんような金が集まっているし

下のほうはぜんぜん金がなくて

昔よりもっと貧乏になっている

ようなかんじ

貧乏にもいろいろあって

 

貧困と無知が重なっていると

栄養とかわかんなくて

それこそフランスで移民が腹さえふくれればいいといって

ホットドックにマヨネーズたっぷりかけて満腹になって

実際炭水化物と脂しかとっていないという状態みたいな

そういう水ぶくれで肥満で貧困みたいな

そんなぷわぷわした貧困になったりもする

んだろう

 

問題はそういう貧困は

 

貧困とは別に

 

残酷さがあって

 

残酷さとはべつに

 

なにかこう

 

福音みたいのもあって

 

福音はネット経由で無料でやすくひろく速く

ひろがっていくたとえば無料の音楽配信サービスは

宣伝をつけることによって

あまねく世界に音楽をひろめ

 

ただし宣伝によって特定のプロパガンダを注入されるんだが

 

それでも音楽そのものは耳にとどく

 

文化の代表が音楽

音楽がいちばん電子的に複製できてネットで流通させることが簡単だった

だから車のように販売する必要もなく

モノではなく

流れるものだったので

 

どんどん流している

 

音楽を「創る」人はいまでもたくさんいるんだけど

それを

聴く(消費する)ほうは

文化の資質を身に着けるのは教育で

文化を食べて育つこともあるし

そんなんしらねえとばかりに食べないこともあるし

何にせよ消費するのに対価が必要なのは

 

モノには対価が必要だけど

車は金でかうんだけど

 

モノだけど消費するとなくなってしまうのが食糧で

 

モノだけどいくらかのこるしばらく使うのが耐久消費財

 

モノではなく流れるやつが音楽で

 

じゃあネットで愚にもつかない記事とやらを流し読みしているこの

こたつ記事奴はこれは何だ

モノではないな

 

本当は中心にあるテーマは人間がどうすればそこそこ幸せと充実

を感じられるか

だと思うんだけどそこを頂点にすると

大きい概念すぎるのでルートがわかんないので

 

その周辺から探していくしかない

 

田舎で人間が残酷で残忍になるのは都会では中心ではきっと

こんなんじゃない

もっと変な人間関係から自由になっていて

ほしいものが手にはいって

ほしいサービスを利用できて

消費できて

ほしいものが得られて

それから良好でうるさくない人間関係が得られて

やるべき仕事があって

仕事によって社会とつながって

社会はわるいところもあるけどすこしずつよくなっていく

 

みたいなクソワードを脳内にまきちらしていると

じわじわと

なにかこう「つくっているふりをしているが実際は世界を

支配していこうとしている」やつが触手をのばしてきて

もうそれなしでは生きていけないようなイメージが

あって

 

オレがあらゆるCMがきらいなのはやつらはCMでは

自分を自分でほめて自分のことを価値ある存在でよいもので

よいことをしているんですぅ~と自分の金で電波やそこらを買って

おっぴろげをしているから

うるせえなと思うんだが

 

うるせえものは断ち切らんとと

 

なんで蛙亭はアメトークにはまったのだろうか

 

有名Pはすぐに引退しないのだろうか