過去とは?

人の日記を読んでいてはあ10年前の自分といまの自分の比較う?

とか思って考えてみたがオレの場合は都合よくとらえている部分と

忘れている部分がありすぎるのでまず自分の

24~28くらいの時代を考えてみたいと思ったのだが

それはなんと20世紀の話で

1994~1998あたりのことなのだった

うわあもう歴史の本にしか書いてない時代だよ

愕然とするしあるいみ気持ちわるいそんな過去のことを

記憶したり回想したりするなんて気持ちわるい!!

 

と言うのもなんなんでちょっとだけ考えると

何をまず考えるかというとそのころはオレは本格的に正社員の座を窓から投げ捨ててバイトをして長くて2年やってやめて海外を旅しかえってきてまたバイトしてまたやめてまたなんとかみたいな繰り返しだったわけであるがいったいそのころの日本とはなんだったのか

簡単にいえばバイトの口があってそこではそれなりの給料を出していた

ということである

明細とかとっておけばよかったなあオレがどのくらい稼いでいたかわかるのに

でも職はあったんだよ

というかいつもあるといえばあるんだが

マクロでいえば長いゆるやかな下り坂の最初のほうだったんだよ

 

だからオレは東京で風呂なしアパートに住むことで

バイト生活をして銭湯に通って

たのしくはたらきたのしくくらしていた

まだ古書店で定期バイトに乗り出す前のはなしである

 

そのころのなにか一番楽しいことってなんだったんだろう??

日記をひっぱりださないと分かんないんだけど

とってあるはずだけど

読めるかどうかは怪しいものだ

 

90年代はオレは本当に何をしていたのだろうか?

 

あえて記憶を改竄したり隠蔽したりしてるような気がするのである

目をつむるといってもいい

なにしろ同級生は正社員のみなさんとして

普通の会社で普通に働いたりして着実に過ごしていたのでありましょう

ありましょうというのは知らないのでそうとしかいえないのである

 

だんだん高校時代とか大学時代の友人と疎遠になっていく時期でもあったろうたぶん

 

それで新宿コマのバイトで知り合ったやつとつるんでいたような気もする

 

しかし時間が圧縮されていてなにも思い出せない

 

オレがなにか記憶があるのはそれこそ

古書店で定期のバイトを開始して

そこで5年間月給で働いていちおうの安定を

安定というか収入の安定だけですね

を得てそのあたりからは記憶があるのである

遊んで遊んでいた

本読んで映画みて

東京のまんなかが仕事場で

そうですね

そこから古書店が傾いて首になり

同時に専門学校に入るわけだが

 

どうなりたいというビジョンはいつもないのだった

いまもないといえば

ないぞ

 

無いとはすごいな

今も無い

というのはもっとすごい

 

まあ無いほうが多数派なのか?

 

無いほうがいいとさえ思っている

 

しかしそれは「仕事などのことのビジョンがない」だけであって

さすがに「仕事以外の人生の方が大きい」ことは理解した

そして「仕事じゃないところで何がしたいことか」くらいはさすがに

確定している

それは脳を忙しく動かすことでそれが最大の娯楽なのでオレは娯楽に興じていたいのだったいつもいつまでも

それが目的でもある

だからそのために小銭が必要だということになる

 わかりやすい

仕事で達成するものなんて達成とか言えるようなものではないと思う

だいたい普通の市井の凡人が「私は人生でこれを成し遂げました」なんて

胸を張って言えるものがあるわけないじゃん

それは本人の中で価値があっても他人に対してなにか言えるようなものである

わけがない

本人が自分の中でそう思うのは勝手であり好きにすればいいのである

 

他人に対してという形や形式をとるとそれはもうそこから社会なので

そういえば昔からそうだが

どうしても人間は社会と無縁では

生きること生存することそのものが不可能で

それは悔しいことだなあと子供のころから思っていたが

今もそう思っている

(たまには山からおりる)

なんでできないのかなあ

と思っている

できなんだけどね

 

過去はあまり娯楽にはならないことがわかった