あさです
12月12日(日)
昨夜は最終的にはずっと起きていて
小説をよみ
舞城王太郎はそんなには大きくは変わっていないのではないか
と思った次第
「煙と土と食い物」での考えて行動して考えてその考えも全部言葉に表して出して話しながら考察して検討してそして進む(舞城の登場人物は誰もが必ず行動を伴って進む)ということは変わっていない
「畏れ入谷の(略)」では
3つ短編がのっていて
後ろの二つを読んだ
福井の少年か若者か
「裏山の凄い猿」では40年前に失踪したというコドモを
コドモのままの彼を発見して連れ帰る
「うちの玄関に座るため息」では兄弟3人で(主人公は
末の弟)話し合いして”心残り”とのセッションを考え直して進む
「うちの玄関」ではBL妄想による映画批評が出てくるが
実際には映画批評ではなくてもののみかたである
心残りは人間の形をして家にやってくるが実際は人間ではなく
残留思念のようなものである
なんだかよくわからないものや
なんだかよくわからない場所を描くことができるのは舞城の小説
ならではである(ならではとか言いだすのはわるい批評)
そのBL批評をしだす人は実際問題
名前は男性で中身は女性で
三人きょうだいの長男のカノジョさんであるが
長男がーここからあらすじや内容を要約するのは至難のわざだね
ついったにはみじかい文章で感想を書く人が続出しているので
みるといいよ
いかに舞城が愛されているかわかる
なかなか短編いっこにこれだけ検索がひっかかることって
ないもの
世間というものだ
どうしても感想が書きたくなるものはよいもの
どうしてもそれをひろめたい