「侍女の物語」感想

浅羽図書館でかりて読みそして返す

もうこれは古典といってもいいので

ないようを書いてもいいだろうストーリー

と思ったが

 

錯綜

 

なにしろ回想が入り組んでいるストーリーなのである

HULUで「ハンドメイズ・テイル」を1話だけちょいと

見たが

あれはルークといっしょに脱走(国抜け)しようとして

追っ手につかまりかけのところと

司令官の家で妻と面会するところ

くらいしか見ていないのである

だいたいどういう話かは

聞いていた

 

しかし問題はたくさんあって

・セックスしてコドモを産む機械

とされた(貶められた)女たちが侍女

・「妻」

・「小母」(あるいみでは支配階級だが・・・)

やくたたずの女たち

 

・司令官や軍人たち(妻を娶ることのできる階級)

・召使の男

・戦闘官(実力部隊)

 

うーん

よくわかんない・・・

 

もちろんよくわからないように書いてあるのであるこれは

最後に「学会での研究成果の発表」があることでわかるように

これは過去においてそういう専制政治があったということを

カセットテープに残された肉声から研究してまとめた

という22世紀の話

という呈なのであるから

 

語る女は本名も明らかにされないし

 

でも結局あれだ

人間たちは専制政治の中でルールをがんじがらめにつくって

(偽りの)宗教でっちあげで生活を縛って

社会なるものをつくってみたけれど

その中でも

かつてのことを忘れてしまうわけにもいかず

セックスを不自由なものとした中でも自由にしたいと願う男はいるし

それに相手をする女もいる(どっちも非合法)

という姿

 

主人公の女も

途中から

司令官との逢瀬を重ねる(妻の目を盗んで)

 

また

召使の男とのセックスを繰り返すようになる

 

それはそれぞれ動機があり

 

司令官は

「愛情のようなもの」をほしがっていただけでセックスをたくさんしたいわけではなかったし

召使はセックスがしたいのかしたくないのかやはりしたいんだろうけどそれが非合法と知っているからともなく侍女がやってくるのであればそれを相手するようなどうなような・・・

侍女は望んで召使とのセックスに励んでいる

 

あと殺人儀式があってたまにガス抜きに政治犯(?)の男を侍女たちが暴力でなぶり殺しにすることのできる機会がある

 

なんだろうなあ

オレが大変にひきつけられた(興味をひかれたというのと興奮したというのとなぜなんだろうと思った)のは

・司令官がだんだんと侍女に対して愛情のようなもの(愛情ではない)を示しはじめるところ

・召使と2回目のセックスをはじめるところ

・それを侍女が望んで行っているところ

・集団なぶり殺しのところ

・白い布を頭にかぶせて絞首台にて首に縄をかけて絞首台をぶっ倒すところ

ありありと

最近ではひさしぶりに殺人シーンのある小説を読んだので

殺人シーンはどうであれオレをある意味で興奮させる

 

オレの咎とは関係なくフィクションの中で殺人が行われるのは

オレはなにも後ろめたくおもうことはない

でも傍観者としての責任はあるよね

 

侍女が産み機械とされて隷従を強いられていること自体について

それが何のアナロジーかといえば

現代日本が給付金なるものを配るときにいまだに「世帯単位です」とかいって

個人には金を渡さない(世帯主ってなんだいな)

ことを見るにつけいまだに日本は専制統治の個人の権利をまったくみとめない

社会で

ディストピアそのものがいまでも続いているなあと思うばかり

戸籍なんかなくたって誰も困らないんだよ

大好きなアメリカだって戸籍なんかねえじゃんね

バカが

 

おりしも新聞にカラー広告がでてきて

マイナンバーカードをつくって保険証利用や給付金受け取り口座に紐づけしたら計20000円あげますよ!と政府が税金をつかって新聞広告していて

ものすごくキモチが悪い

これぞ実在する眼前のディストピアであり

こんな国に生きてるんだ

と思うばかりである

本当に

出ていきたい

 

望んで管理されたいと思うのが奴隷であり

 

環境によっては人間はたやすくすすんで管理されたがるであろう

ということを示すのがディストピア小説の醍醐味である

こんなにも我々は全体として愚かであり

また よわい

脆弱で

ちっとも倫理的でもなく

集団暴力にも進んで参加する

そういうのが我々の本質だ

ってことです

わからせられるのである

それが小説の価値だ

その本質から逃げられないのである

せめてそれを忘れないようにしていくしかない

そのくらいしかできない