わからんこと

親とかはやめに殺したほうがいいですよね(メンタルを

自律させるという意味で)

いやあ

いま「恋せぬふたり」をみているんですが

なかなか見られなかったんですけど

なんかいろいろ文句つけたくなりそうで

 

いま実際みているともちろん文句がたくさんあるので

ここに書いているのですが

まずアロマンティック・アセクシュアル

というのは

本人がこれは私である

思う

ものなわけですよね?

どうなのであろうか

 

論文に定義に関する話とかあるのだが

 

https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/21770208.pdf

日本におけるアロマンティック/アセクシュアルスペクトラムの人口学的多様性
―「Aro/Ace調査2020」の分析結果から   

三宅大二郎・平森大規

人口問題研究(2021)

 

 

いろいろオレも気になっていまして

まったく自分事ではないのですが

 

たとえば能町さんが「自分はまったく男ではない」と

考えたんだけどその先になにかこう解決にいたる道が無くて

解決はできないまでも手術はしたいということになったわけじゃないですか

 

とはいえ

オレも別にオレの人生にとって能町さんがどうこうというわけ

ではないのだが

 

いやさ

 

静岡県は遅れているのであるが

タモリ倶楽部に能町さんが出ていまして

 

それからラジオ

TBSの土曜朝のやつに能町さんが出てくるときは

聴きたいなと思っていて

 

ということはファンなんです

発言とか文章とかのね

 

 

わからんなあと思うことは知りたいのが人情じゃないですか

ましてや隠しているわけではなくて

 

つまり

オレにはまったく実感もできないし共感もしないのだが

それでも現実のこの世にはいろんな人がいて

生まれた性別とされるものにフィット感がないとか

同性をこのんでつきあいたい人がいるわけじゃないですか

いるものはいるし

それはもう

おそらく脳の器質的ななにかではなくて

本人がそう思うからそうなわけじゃないですか

 

刷り込みから逃れたというか

逃れたことが証拠というか

 

だからべつにこうスペクトラムでいろんな人がいていいわけで

ちょっとそう思うという人がいてもいいわけだし

AVの仕事をされている方でも女性とのセックスと男性とのセックスと両方が好きという方もいらっしゃいますし

それでいいと思うのですが

 

何がわからんかというと何がそこを分けているのかというか

分水嶺というか

かつての社会が

人間社会ではかつてはそれは病気だとか犯罪だとか宗教的禁忌とか

いわれてたわけですよね

それで

今現在も国会議員で同性愛は生産性がないといって批判をしてかつ

そのまま開き直ってまだ国会議員をしている奴がいて

辞任してほしいんだが

 

 

社会が変わっていくのはまあそれは変わっていきますし

常識も変わっていくし

 

生命観とかも変わっていったら

たとえば藤子F先生が描いた0次元のように歳をとったらみずから安楽死

というのが政治的にも倫理的にも正しいとされる社会になるのかもしれない

じゃないですか

マジで

 

別にこの世の人間が全員異性愛ではなくて同性愛を自認するようになり

その結果子供がうまれなくなって人類は亡びるのかもしれませんが

それもいいじゃないですか

 

だから自分にわからないからといってその存在を認めないのは

それが罪であってそういう思考をする人こそを

断罪しないといけないと思うんですが

どうしてそういう人はまだ断罪されていないのか

それがひとつわからないことで

 

あとわからないのは「自認することによって自らの指向を決定する」の

ですが

じゃあ異性愛を自認しているひとは全員が

社会的つまり後天的な他人からの刷り込みによってそれを決定しているのか

それとも決定しているという認識がないのか

女性よりは男性のほうがオナニーしている率は高いと思うのだが

そのときに

男性がオナニーで思い浮かべる相手像が女性になるということの

その原因(成因)は

周囲の子供環境または大人環境というその生育のフィールドによるもの

なのか

もしそうだとしたら性自認が同性に向かう人は

どこが違うのか?

後天的と生得的(うまれつき)の間に線を引くことはできるのか?

 

後になってから気づくとしてそのことは

他にもそういう人(同じような指向)がいると知ってのことか

知らなくてもそう思うようになるのか

たった一人で突然それを自認する人はいるのか

 

 

とかこういうのは実験で確かめることができないタイプの

それ