よる2(「ちいさくせまく」)とは

前の同僚に

「粛々と・・・粛々と・・・」と言うのが口ぐせみたいになっている方がおった

 

えーとね描写する

 

つまり彼女は

専門職(国家資格)があるけど

まあダンナもいたし

外からみると何のもんだいもない平和で裕福な部類に属する生活をしている

のである

外からみるとね

 

しかし一方で本人の「感じ方」はそれとは何の関係もないのだる

 

まあなんというかコンプレックスもあるし

こどもの教育で悩むこともあるし

どうにかしてなにかこうトラブルが少しでも少なくなってくださいいい

と天に祈るようなかんじのスタイルで生活をして

(それはつまり努力と工夫と地道な工作によって問題は解決しないことを

意味している)

それが習い性になったので

いまでも「粛々と・・・」と唱えることが日常になっている

それは

この先に事件がおきないように「祈る」

いつもとかわったことがおきないように「祈る」

そういう感じである

 

オレはかつては「どうしてそれをどうにか変える変革すべく

行動をしないのだろうか?事態が自分のコントロールの外にあるから

祈るしかできないというのならば

事態から離れるかコントロールを取り戻すかどっちかしか選択肢はないのではないか?」

と思って歯がゆいかんじで見ていたのである

 

しかし

そうでもないこともあり

 

事態は手の外にあるがしかし その事態に対して無関係でいることもできない

場合には祈るしかない

というのがカノジョのソリューションなのであり

祈ることで毎日のとりあえず一日の平穏がそこにもたらされるのである

そういうやりかたもあるんだね

まあ

別になにかうまくいったわけでもないけど

そういうふうに見ていたのである

 

オレ的にはなにかそのひ一日の平穏を

ゲットするためには

ちいさくせまくという

ことを考えてみるのがいいのではないかという思いつきに今日至ったのである

 

なんとなれば野心も野望もあるのだが

老いて死んでいくのも確定しているし

しかしさても最低限自由度のコントロールだけは

握っていたいのである

どうにかして

死ぬ寸前まで散歩する自由があるといいなあと

思っておるしネットの通信環境でツイッターでもなんでも

好きなことを書きちらかす自由を保っていたいのである

奪われたくないのである

施設から外に出ようとすると停められるようなところに住みたくない

のである

 

それとちいさくせまくと何の関係があるか

 

ちいさくせまくは7文字標語で

なんとなればそれは精神のことであって

野心と野望があるとかなわなくて

くるしい

ので

それを棄てる方法を考えていただけだった

あれだ

である

 

しかし脳もはたらかせていたいのである死ぬまで

 

それには借金などの脳が心配したり

文章などの野心をもって書くものがあったほうがいいのではないか

とくに注目されたいとか読まれたいとか

野心

うーん野心ねえ

そうねえ

それはあんまり

よくないなあ

自己満足が最高なんじゃないかなあ

どうかなあ