カンでものを言うが
同じようなこと・ところに
集まってくるというのは真実は結局そこにいきつく
ということを表しているのではないかという仮説で
とすれば集まってくる場合にはそこが真実の中心である可能性がたかい
狩猟から農耕へという大変化を皆が考えている(仮説を考える)
のはそこが転換点ですごくいまのオレら人たちの生命生活にとって
の
大変化だったということで
それこそ吉本隆明もそれについて考えていて「ちくま」で連載している
鹿島茂も
そして國分功一郎も
西田正規『定住革命』を引いて
そうね
あと教育が強制によっては何ひとつ達成されず
並走するしかないというのも
スピノザ(を研究する國分)や
佐伯胖や
たぶんだけどヴィゴツキーの考える模倣と教育とか
いろんなところでそういう感じに収斂していっているのではないかと思う次第