高木さん(2-1)

教科書

 

ずっとそうなんだが

西片は設定として

高木さん

からかわれることを「恐怖」としてとらえている

 

そして悔しいと思っている

 

そしてやり返したい(勝ちたい)と思っていて

 

そして絶対的に勝てない

そして全部悔しい

そして恐怖は常に存在する

そして恐怖を味わう 味あわされる

 

他人からみてそれが「快感/報酬/喜びを含む興奮」であるはずなのに

 

と他人はそう見る(観客)

 

「本人がそれを知っていてその通りにならない」ものと

「本人がそれを知らないでその通りになる」もの

だったかなあ

何だっけなあ

悲劇と喜劇とか言っていたなあ

なんだっけ

 

引用

が見つからない

 

とにかくそれを「恐怖」ととらえている西片の姿をみて

観客は「喜ぶ」しかないわけである

形式としては

それが娯楽のキモだから

 

おかしいなあ

 

と思うのである(両義的にも)

 

おかしい

Funny の おかしいもあるし

Weird で 奇妙奇天烈のほうの おかしい も ある

 

しかしそれが「異常」ではないということも観客は知っている

 

思春期男子は自意識の岩石であってプライドで

しかもいまの自分を客観視することもできず

稚気だけがあって

勝つか負けるかで

勝てばえっへん

負ければしょぼん

負けるのは恥で

負ければそれでおわり

 

女子が相手ならなおさら

 

そんなことしてて楽しいの?と

親が言うのかともおもえば

ここでも親などは一切登場しないサイレント

いないことになっている

いるけどね

日本のアニメのどこかで原則

お話のシンプルな構造を損なうので親はでてこない

 

おまけに本作は友人たちも

揶揄にはまわらない

かろうじてあのブサイク男子二人組(メガネとデブという属性が

追加されている)

それほどの揶揄でもない

 

高木さんはあたまがよく

 

 

本当の中学生の現代の日本はもっと息苦しく

揶揄にあふれ

暴力に満ちて

いじめが蔓延し

希望はなく

不条理な校則と制服が

いつまでも残存して

自由と自治と言う言葉は誰も理解せず

暗黒にみちたこの国を象徴するような

 

そんな中にあってアニメの中にだけはユートピアがある

 

ような