教科書
ずっとそうなんだが
西片は設定として
高木さん
に
からかわれることを「恐怖」としてとらえている
そして悔しいと思っている
そしてやり返したい(勝ちたい)と思っていて
そして絶対的に勝てない
そして全部悔しい
そして恐怖は常に存在する
そして恐怖を味わう 味あわされる
他人からみてそれが「快感/報酬/喜びを含む興奮」であるはずなのに
と他人はそう見る(観客)
「本人がそれを知っていてその通りにならない」ものと
「本人がそれを知らないでその通りになる」もの
だったかなあ
何だっけなあ
悲劇と喜劇とか言っていたなあ
なんだっけ
引用
が見つからない
とにかくそれを「恐怖」ととらえている西片の姿をみて
観客は「喜ぶ」しかないわけである
形式としては
それが娯楽のキモだから
おかしいなあ
と思うのである(両義的にも)
おかしい
Funny の おかしいもあるし
Weird で 奇妙奇天烈のほうの おかしい も ある
しかしそれが「異常」ではないということも観客は知っている
思春期男子は自意識の岩石であってプライドで
しかもいまの自分を客観視することもできず
稚気だけがあって
勝つか負けるかで
勝てばえっへん
負ければしょぼん
負けるのは恥で
負ければそれでおわり
女子が相手ならなおさら
そんなことしてて楽しいの?と
親が言うのかともおもえば
ここでも親などは一切登場しないサイレント
いないことになっている
いるけどね
日本のアニメのどこかで原則
お話のシンプルな構造を損なうので親はでてこない
おまけに本作は友人たちも
揶揄にはまわらない
かろうじてあのブサイク男子二人組(メガネとデブという属性が
追加されている)
が
それほどの揶揄でもない
高木さんはあたまがよく
本当の中学生の現代の日本はもっと息苦しく
揶揄にあふれ
暴力に満ちて
いじめが蔓延し
希望はなく
不条理な校則と制服が
いつまでも残存して
自由と自治と言う言葉は誰も理解せず
暗黒にみちたこの国を象徴するような
そんな中にあってアニメの中にだけはユートピアがある
ような