ひる オレの興味関心のベクトルは今はどこに向いているか

・興味の向かうところ

現実というか金銭の問題で

どうやってその人は「人気作家」なのか?

ということの”方法”(手段)に興味がある

でもそれって作品そのものとは

あんまり関係ない?>?

(『作品が優れたものであれば当然自動的に人気が出る』

テーゼ)

 

・朝に車でパンくってそして当面の方策として

隣の市の公園(ひろい駐車場)にいく

トイレをかりる

公園は朝で歩いている人が9割は老人だが

謎の年齢不詳のおそらくは20~40代くらい?の

大柄な男性がほっほっといいながら速歩をしているのだが

そのペースがあきらかにオレが普通にあるくよりも

低速である

(ここでオレが想像する)

オレはそこで差別的といえる妄想をするこの人は

どことなく顔の表情や体形からして一般に

定職につくだけの水準に満たないので仕事をしていないので

このように平日の朝に速歩の運動を公園で無料でおこなっている

のではないか?

 

オレも無料で公園のトイレをかりているのだけどね

 

さてオレはそのように差別的な妄想をすることの根拠を

どこに見出しているのか?

 

(確証も証拠もない)

(イメージという偏見がある)

(それを「仮の」根拠として使おうと思っている)

 

本当のことなんてきいてみないとわからないが

なんと質問すればいいのやら

質問のことばはコミュニケーションが成り立つのかしら?

spectrum

 

スペクトラム

 

人間かならずしも労働するわけではない

社会の歪み

それとも

 

・公園でネットでしらべてM図書館には目的のものがあるとわかり

M図書館にむかって車をはしらせる

到着

 

・かりたもの

ドゥルーズ関連2冊

 (千葉雅也『現代思想入門』講談社現代新書 はドゥルーズその他の哲学者の思想をつかって現代について書いていると思うのだがオレはドゥルーズのことをまるで知らんのでまずはそもそもどういう特徴の人なのかしりたいその思想)

梨木果歩『やがて満ちてくる光の』

紀行文をよみかけなのだがそれ以外もよみたいと思いかりる

これがモリス(アーツ・アンド・クラフツ)のことやら

あとは

なにかどうしても興味のひかれる名建築とそのもとの持ち主やらの

話となっている

・柏木博『わたしの家』亜紀書房

こないだ吉阪隆正のことを調べてから建築にまた興味をひかれていたので

柏木はあらゆる歴史の中の家とか家のせつび(たとえば鍵)などにもどこにも全部興味があるようだ

・電気の話の解説の本

絵と文章で科学のことを解説するシリーズはけっこうな評判でたくさん出版されている

いわば大人の「なぜなに学習まんが」である

そういうの大好き

 

つまりオレの今の興味は

ドゥルーズ

建築(設計 人間 デザイン 快適さ 楽しい(目が)

それから他に

農業(栽培の技術)

電気(エネルギーの技術)

数学(技術のベースとなる科学的な目で世界をとらえること)

などが興味のベクトルである

 

ベクトルというのは実はそこでは

そこってのは二次平面上

ベクトルってのは力の方向と大きさであって

本当はそれは二次平面上に止まっているものではないので

あれは嘘で

仮にそういうふうに示しているだけのことなんだってさ

 

ふうむそりゃそうだ

 

これはドゥルーズについての

小泉義之ドゥルーズの哲学 生命・自然・未来のために』(講談社学術文庫

よみはじめたら書いてあった

すごく理系的な話が最初にくる

差異

というのは人間「私」一人の完結

からは絶対にありえない

ような

「私ではないものや定まっていないもの」「変身」「他人の記憶とのいれかえ」みたいに私の私がそうではない状態

とかそういう話からはじまるんだよ

例をつかって話(哲学)を説明するのも大変だな

 

(追記)

興味の分野が技術という点では対人接遇も技術のかたまりであって

訪問リハビリとかそういうのぜんぶ結局対人接遇なのではないかとも

思う次第

なのでなんかヘルパーは仕事としてするのではなくて

対人の技術をある程度保ちたいと思うときに

ボランティアとしてのヘルパー業をすることも範囲に入る

のではないか

そうでもしないと対人の技術をたぶんオレは全部失ってしまうね

まあ失ってもいいとは思ってるけどさああ

でもあったらもっといいじゃん(あったほうがすこしマシじゃん)

マシで考える