書籍『ふたりの波紋』

著者は伊藤比呂美町田康

対談集

違いがきわだつ

というか違いを指摘しないと気がすまないのは

町田康のほうで

「私が」「自分の言葉で」

に反発する

町田の作品もどれも翻訳も結果的に町田の作品で

町田以外には書けない作品になっていると伊藤は指摘するが

そこで町田は自分というものの色を出したいとは思っていない

というのであった

思ってるかどうかに関係なく結果的にそういう個性が浮き彫り

になっていることは間違いないと思うのであるが

そこに自分がないのではなくて

意図として自分をわかってもらいたいとは思っていないと町田は言う

ただ声で歌いたいだけだと

まあそれが動機だとして

じゃあ伊藤のほうの動機はなんなんだろうかというと

それは伊藤は明確に自分からなぜ詩を書くかというと

他の散文の形式とかではなくて詩という形式をつかって

自分をそこに言葉として確定させる

(というのはオレが読んでておもったものです注)

ことをしたい

というのがモチベーションだ

いうのであった

まあ

ぜんぜん立ってる位置が違うところがおもしろいが

対談なのでそんなに深めてはいかない

そういう本

図書館でかりた