どういう郷愁かというと
北海道について
かえってきたということは北海道を向こうに置いてきた
ということでその置いてきたものを懐かしく思うことが
それすなわち郷愁である
あのオロロンラインの長い長い直線の風景とかあれはあそこにしか
ないわけで
それこそが旅のそれ醍醐味である
なにしろネットで写真みていてもそれはわかんないのである
3Dの現実の遠近感は写真では描けないのだる
はてしなく道がまっすぐとかね
あとは丘の上を通る道が下から上にむかっているときに
空と地平線がその境目で
真っ直ぐになり
向こう側がみえない
そういう風景
素敵だな と思う
それこそオレが
8時間コース逆に歩いていて
さんざんあるいてだんだんバテてきたころつまり
もうそろそろ召国分岐かな・・・と
地図の名称だけみながら
あのへん
限定的な
礼文ではめずらしい雑木林的なごちゃっとした
眺望のきかないところを歩いていて
それからとつぜん林がなくなって(それは昔の山火事で
かなり大量に林がなくなったそうです)
眺望がひらけて
北部の丘がすべてぜんぶまるっと見えてしまうあの地点
あそこでの感動というかわなわなするくらいのよろこび
ああいう感じの眺望って
北アで
山道を歩いていて
ここまでは目の前の山しかみえない
ここについてはじめてああこここの地点では
遠くのあの山この山全部見える!という
すごい精神の開放みたいなことが
よくあるわけですよ
それこそ乗越(のっこし)といわれる尾根や
鞍部に到達したときに
すごい快感があるよね
オレが最近でよく覚えているのは
常念へ上るときの
常念乗越にやっと到着して
ああ
槍穂高がぜんぶぐるっと見える!
みたいな感動ですね
それこそうまれてはじめての登山トレッキングが
なって人はそうそういないと思うし
いろんな登山道を歩いてきたからこそ
礼文について
8時間コースを歩いていると
それまでに歩いたいろんなコースと
比較するよね
礼文のいいところは何でもあるところで
それこそ海岸の岩場がコースになってるようなルートなんて
なかなか
そういうの日本のどこにもないんじゃないの
日本海の親不知からはじまるルートだってあれは海がスタートというだけで
岩場を歩いてはいないでしょう(どうなの)
そんな追憶で
もう懐かしく思っているんだよウエンナイのあの残酷なイメージとかね