目的のためなら雨のなかを傘さして都会を歩く気があるが

 

帰宅してからジムフロのための雨のなか車で出発する気は

おきない

 

のでまあプッシュアップくらいを自宅でやってもう寝ましょう

ちかれたから

夕食はうまかったよ

あすの昼をね

どうしよっかと

 

今後「昼飯は軽く軽く」の精神なので

結局弁当箱はかわず

ちょっとでいいんだよ

水筒もってくしさあ

 

たぶんね

 

どうしよっかなー0

 

ねえ

 

 

ふと考えるがこの

オレの存在というのは社会からしたら

それこそコースをはずれた初老の人が

ちょっと技術の学校に11か月いくんだってふーん

くらいの扱われかたで

簡単にいって「とるにたらない」存在であることには

変わりないと思うわけよ

 

実際そうであるし

じゃあいったい「とるに足らないわけではない」のはどんなもの?

って思うんだけど

 

そんなん

ねえ

そんなものは無いと思うんだよ

 

重要であるとか

欠かせないとか

いうじゃんけ

 

それは誰にとって必要なのかって話で

 

マザーテレサとか慈善活動家なわけじゃん

尊敬されるべき存在なわけじゃんね

 

 

でもコルカタでは反対派も多くて憎まれてさえもいた

わけよ

 

参考

news.yahoo.co.jp

2021 年年末の記事ね

 

えっと

オレが何をいいたいのかというと

「完全に正しい存在は ない」ということだと思うの

マザーが「自らの信じる(=神の教え)ところに従った」のは

事実であろうと思うが

神はいろんな神がいるし

異教徒はかれら同士の間で「正しく」ふるまうことができるだろうか

 

とるに足らないどころか憎しみですから

 

価値のあるなしとか以前に-(マイナス)であると

思われてるわけだろ

 

別にオレはマザーに対しては肯定でも否定でもない

もっと言えば「しらない」ほうに入る

 

だからね

 

サラリーが高いかどうかとかって

身長が高いかどうかくらい

同じくらい「くだらない」ことだと思うわけよ

 

サラリーが高いと助かるのは自分とその周辺であって

ぜんぜん「社会で共通の価値」なんかじゃない

たまたま多くの人がそれはいいと思うだけのことで

「多くの人がいいと思う」ものは

「真理として正の価値がある」ことの保障ではない

 

真理として正の価値のあることなんて

この世のはほとんど存在しないといってもいいし

じっさいにそんなものはかつてもいまも未来も存在なんて

しない

とも思う

 

だから価値があってそれをしなくてはならないということは

どこに在るかといえば

個々の心(心情)の中にしかないともいえるし

 

なんらかの教育や教えや教導や学習や信奉や経験によって

つくりあげられたような

があってそれが「それをしろ」と言うのであれば

それをするしかない

それが他人を助けることであれば

他人を助けるしかない

他人を助けることが「正しいことである」からするのではなく

「他人を助けることは私のすることだ」と心がそう言うからそうするのである

それに従ってそれに違うことなく(たがうことなく)

苦難や悪口雑言をのりこえてそれを行ったという点でマザーは偉大だと

思います

 

というのがオレの真理観なんだけど

 

つまりオレは「他人からみてとるに足らないかどうかなどどうでもいい」と

言いたいわけだね

 

あと

真里って名前はいいなまえだね矢口ちゃん

真理となるとこれはちょっとまたかわってくるのだが・・

 

(オレの記憶もたいしたもんだちゃんと好きなアイドルのことは

経年記憶劣化を経てもちゃんと漢字を覚えている・・・)

 

さいきんまた矢口さんの偉大さに感じいることがあって

 

すごいと思うの

 

強さが

 

かわいさもそうだけど