かわりみ(4)と「立場」なる架空のスタンス

しかしここで大事なことがありまして

週末

でもなんでもいいからどこかの「時間帯・日」で

さあ

遊ぶぞ!

といきおいよく遊びにむかって認識が進む

 

そのときの「立場」とはなにか

 

どうでもいいのにこのことをつい気にしてしまう

つまり

無職 が あそぶ

学生 が あそぶ

労働者が あそぶ

引退した者あそぶ

 

どの誰が何をどうあそぼうともそれは本人だけの問題なのに

どうして「無職が遊んでいる」と

あそびの

意味の違うの意味の

「無為」の方が出てきてしまうのか

 

あそびとは遊興であって楽しみであって

 

なのに「無為(ぶらぶらしてる無産者の無為な停滞)」という意味も

ある

のは

あるんだけどさ

無産者っていったな

えー

そのことばどうなのー

 

アナキズムですよ

 

生きてるだけでいいんだから

 

でもなんかこう「AしたんだからBしてもいいだろ」みたいな

無駄な

不思議な数式を

脳の中で考えているんだよねくせみたいなもんだよね

AしなくたってBしたっていいのにさ

オレはさんざん無職期間中に

批評も書いたし美術館も旅も運動もトレイルも

なんでもしたいことしたし

なんでもしたいことをしていいんだと自分を鼓舞していた

鼓舞しなきゃと思ったの

そうしないと楽しめないのだから

 

何が立場だっつーの

もうすぐ死んじゃうんだから

いまのうちに

したいことをしないといかんのでいかんのであるよ

 

立場とかカスじゃんね

全力で遊んでやる

まさに

そう

それこそがヒマと退屈の対義語だ