しかしここで大事なことがありまして
週末
でもなんでもいいからどこかの「時間帯・日」で
さあ
遊ぶぞ!
といきおいよく遊びにむかって認識が進む
そのときの「立場」とはなにか
どうでもいいのにこのことをつい気にしてしまう
つまり
無職 が あそぶ
学生 が あそぶ
労働者が あそぶ
引退した者あそぶ
どの誰が何をどうあそぼうともそれは本人だけの問題なのに
どうして「無職が遊んでいる」と
あそびの
意味の違うの意味の
「無為」の方が出てきてしまうのか
あそびとは遊興であって楽しみであって
なのに「無為(ぶらぶらしてる無産者の無為な停滞)」という意味も
ある
のは
あるんだけどさ
無産者っていったな
えー
そのことばどうなのー
アナキズムですよ
生きてるだけでいいんだから
でもなんかこう「AしたんだからBしてもいいだろ」みたいな
無駄な
不思議な数式を
脳の中で考えているんだよねくせみたいなもんだよね
AしなくたってBしたっていいのにさ
オレはさんざん無職期間中に
批評も書いたし美術館も旅も運動もトレイルも
なんでもしたいことしたし
なんでもしたいことをしていいんだと自分を鼓舞していた
鼓舞しなきゃと思ったの
そうしないと楽しめないのだから
何が立場だっつーの
もうすぐ死んじゃうんだから
いまのうちに
したいことをしないといかんのでいかんのであるよ
立場とかカスじゃんね
全力で遊んでやる
まさに
そう
それこそがヒマと退屈の対義語だ