映画「アネット」について

そういうわけでわざわざ伊勢市までいって

みてきましたよ

 

カラックスは女がキライなのかね?

途中で死ぬことになるソプラノの美声の妻の内面が

さっぱりでしたわ

凡庸な女ってこと?

さあね

 

まあでも途中で殺される~~

いや殺されたわけじゃない~~

でも死んでしまう~~

そして霊魂として登場する

 

そうこれはミュージカル・コメディ(ブラック)

なんでもあり

なんでもありだよ=~

 

オレは見ていて楽しかったですよ

最初こそちょっとねむくなったけど途中から

 

主人公の男がなにかが変だおかしいとなったところから

舞台(コメディアン)がうまくいかなくなったところから

おもしろくなってきました

 

そもそもなんで主人公は

との間がおかしくなるその原因は何でしたっけ?

あんなに情熱的にセックスして妊娠中もセックスして

出産にも立ち会ったのに?

(出産シーンの医師役だった古館寛治さんがいつもの顔してるのがおかしい)

 

ああそうそう「6人の女」から

過去の暴力を訴えられたんだっけね

 

でもそれは直接妻に向かうものではないでしょ?

キャリアに傷がついた?

 

おかしみをこめて挿入されるゴシップニュースの

止め絵では「キャリア格差」って言われてたけどね

 

別に妻を嫌いになる要素が見当たらないのだが・・・

 

とすると単に主人公ヘンリーがクズ男だからおかしくなっていった

ことになる

なんかおかしいね

 

そう

なんかおかしいのです

 

まあそれで親子三人でヨットで旅にでて

海の上で荒れてて

ヘンリーは酔ってて甲板で嵐なのに踊って

それで妻は海におちる

ヘンリーは助けない(気が付かない?見棄てている?)

(飛び込まなかったことをその直後の警察の質問では指摘されている)

(警察シーンさえもミュージカルNUMBERになってますからね)

 

とにかくこの映画は徹頭徹尾歌で語る

どんなシーンでもだ

そこがこの映画のおもしろいところで

「ミュージカル」にしたけどドラマのお話の進行は語りで

というのではなくて

とにかくどんな重要なシーンであっても9割かた歌で語る

のである

ヘンリーの舞台をブーイングする観客たちも歌ってブーイングする

そこがおもしろいんじゃんね

 

あとはじめとおわりがスパークスも登場する行進して歌うOPとEDで

とにかく歌うのである

虚実のはざまにあって

歌っているときはそれは物語があるいるその中にいるという

ことになっているのではないか

 

なにしろ

コドモはずっと人形で

それがときどきホンモノの人間のコドモにみえかねないときもあって

ものすごく不気味で

しかもそれが最終シーンだけは人間のコドモになって歌うという

この

しかもその人間のコドモが「人形のようにきわめて美しいコドモ」なのである

すごいね

そこがいい

とても

真剣に不気味で

人間の生きている姿のほうがさらに不気味なんだから

だって人間のコドモがまるで人間ではないかのように冷徹に

コドモらしくない拒絶で父も母も拒むのですから

すばらしいフィクション

 

なんて見てよかったんだなんて素晴らしい

こういうのが大好きです

 

映像の色のうつくしさもVFXもすごいいいのね

豪邸もリムジンも

LAの荒野をはしるバイクも

世界中をツアーするシーン(日本の六本木もあるよ!)も

 

とにかくこういう「映画的な無駄なまでの豪華な」ものが

スクリーンの中だけに現れるのは大好きだね

 

音も最高だし

 

とにかく歌い続けるし

霊魂になっても妻は夢にでてきたり裁判にでてきたりいそがしい

妻の生前から恋していた伴奏者のちのコンダクター

気の毒だね

 

アダム・ドライバーの選ぶ映画にはずれなしだ

それが基準です

 

追記:

無数にあるが2点だけ

 

1.Wikipediaをみてきたら 意味的に「仕事の上でうだつのあがらないヘンリーが超大物ソプラノ歌手と・・」みたいな書き方してるんだけど ヘンリーの最初の「The Ape Of God」の舞台は客のウケもすごいとってるしノリノリだしけっして売れないコメディアンなんかじゃないと思うんだけどな

2.海外サイトのラストシーン解説みたいなを読んでたんだけど それで気づかされたが

あたりまえだが「人形」とは比喩で暗喩でもあるが直喩でもあって

つまり「マリオネット=操り人形」ですね

あまりに堂々とコドモの役を人形がやっていてそれを周囲がみなで「人間のこどもであかちゃん」であることをまるで疑問におもわない演技をしているのであれだ

オレがぼーっとしてたわけだが

よくかんがえば生まれたときから人形=操られている=人間ではない

という意味でヘンリーにとっては娘はもともと娘というよりも人間以外のなにかだった?

そして操って金もうけに使った?わけ?

ということ

のあたりのね

 

まあアネットが途中で歌えなくなることは示唆されていたのだが

 

うーん自分で書いていて疑問が大きくなるのだが生まれたときから既にあの夫婦にとって人形だった?すくなくとも妻のほうは人間のコドモとして扱っていたが・・・(看護師たちもね)

 

あの生まれた瞬間に分娩室が暗くなるのは人形であるアラを隠すためと一瞬思ったがちがうのかな・・・

 

など無数に疑問が生じるタイプの映画である

たのしい