gozen 土曜午前

えっと土曜午前

さきにちょっとだけ読書すすめる

積分の分

それから

コメリで雑草抜き(テコがついてる)を買って

畑にいき雑草を抜く

きりがない

まあてきどに

しつこそうなやつ(’ほっとくと根が蔓延って抜けなくなるかんじの)を優先で排除する

サツマイモの苗の葉はすっかり元気

なぜあんたらそんなに元気

オカヒジキの畝のサイドが崩れかかっているので

雨になったらその水気を利用してサイドを補強

にいくべし

ディルはもうわからん

いないようなきもする

 

それから図書館にいく最新の週刊文春よむ

吉川さんが

「おじさんの対義語が女の子」と書いていてそれは書評(鈴木涼美さんの『娼婦の本棚』)の中の文なのだが

吉川さんはおじさんである自身からみてそのような書を評するのは大変(困難)ハードルが高いと書いていたそれはそうだろうけども

いったい経験とはなんだろうか

誰が「元娼婦」とか「元AV女優」で

セックスを商売にしていました

という経歴の人に同じ分野で戦いをいどむだろうか

いやいどまない

絶対負けるから

というのがオレの考えではあって

それは経験あるなしで人間を分けるものだが

一方で人間は経験あるなしで分けていいものなのか?

とも思うところはあり

つまりオレは女子としての経験などは一切ないにもかかわらず女性向け漫画を読むわけだが

それはじゃあ「女性向け」というラベルの貼り方が間違っていたとでも?

 

しらん

 

宇垣総裁のマンガ評は「ダーウィン事変」

サルなのか人間なのかどちらでもないのか

そのような出自の生物でなければそれはその体験はできないことになりそのようなものの体感のみが正しくて他のふつうの人間とかはぜんぶ間違っているといえるのか

もちろん言えるわけがない

SFが優れているのはそうした思考実験を行わせてくれるところである

 

あとは積分/微分の本のつづきをよみ

積分のほうが理解しにくい感じがするそれは原始積分と定積分不定積分がわからんからである)

(『数学ガール』で登場人物たちがわかっていてこっちがわからないとしょうしょうムカツくところはあるがそれはオレのせいなのでしょうがない)

 

あとは『私はあなたの瞳の林檎』から

二個目の短編の「ほにゃららサラダ」を読む

美大の女の子の話

才能とはなにか

批評とはなにか^ー本質ー

才能とはなにかわからなくても

なにかを作り出すみつけるやってみる

ことをしてみた女の子の話ではあるが

どこまでも

一人称の小説である以上の一人であって自分が

世界の中心にいて

中心観がすごいのである

まあ元気に生きていくでしょうとこの女の子

をみていておもう

大学生とかコドモに見えるのである

 

でも実際「大人になってしまったので

そんな(はげしいような行動)ことはできません」とか

言ってしまうのは

単なる敗北で

そのような行動をする能力やAbilityが

かつてあったのに

 

いまは失ったというだけのことで

おまえは加齢しそしてその能力を失ったのだ

と突き付けてやる

おまえはそのようなBADの方向にいまも向かっていて

その道をあるきつづけて右肩下がりで死んでいくのだ

と宣告してやる

 

若いからできる

とか

言ってしまうと

もう若くないは死である

 

そんなんいやです

 

MJが舞城王太郎

若い人の1人称の小説が書けるのは

MJは確かにデビューのときから

誰にでもわかるような文章を書いていたなあそして

登場人物は皆ぜんいんそれぞれパワーと意志と

それを行動に変換できる能力を持っていたなあ

それがMJの小説だなあ

といまでも思うのである

すげえ

 

そして3冊はかえした

 

午後はあと2冊かえしにいかないといかんわ

図書館(また別の)へね

メモつくりも継続ちゅう