デジタル

MITのネグロポンテが「Being Digital」を書いて

オレがそれをペーパーバックで読んだのは

まあ1990年代のどこかだったと思うけど

 

それから幾星霜20年ちょい

 

DXたるデジタル・トランスフォーメーション

なるものがそもそもそれは何だ

全然進まないぞ

みたいな

進まないよね

仕事がなくなりそうだしね

効率あげたらいかんよね

 

というかんじの絶望

 

別にそれはいいと思うんだよ

 

遅かれ早かれ

そうなっていくだろ

効率

そして人間がやることなくなる系

イデアを考える脳があればこそ

ないやつはなにもすることない

単純肉体労働はロボットがするでしょう

 

人間の「心」なんてのが

いつも暖かく清いままとは限らない

暗くつめたくそして濁ったこころ

いくらでもあるよ

 

こころに期待なんかしちゃいけないね

 

今日は図書館で新聞よんで消防乙4のメモつくりしてて

あとほんをかりたが

「コミュ障のための社会学」というのが新刊コーナーにあり

ちょっと読んでみたくなり借りる

 

初心者のための紹介

という呈である

切り口がおもしろければいいんだよ

どういう目(視点)で社会をみるかなんでしょう要は

 

オレがはじめて「エスノメソドロジー」という考え方を

知ったときは面白いと思ったよ

それは「コード」ということばで行動の様子を

表現していた

なかなかそれが「コード」だとは思わないもの

でも実在するよね「コード」は

 

それはその後「分野 ジャンル」になったのだろうか知らない

 

なんかね

 

いっこジャンルをつくると

それは実は孤立なんてし得ないというか

 

たとえば家族社会学

なるものをつくっても

それはどうしてもあらゆる場面へと

拡張してしまう

 

ジェンダーなのか

経済という単位なのか

性愛の場が隠されていることなのか

コドモを愛するというキマリはどのくらい強制的なのか

キマリ

キマリが悪い

 

デジタル

 

デジタルは言葉があまりに

不適切

それをもって何を表現したいのか

 

デジタルって0と1のことでしょつまるところ

 

それ以外のことを

ITのことをデジタルって呼んだり

この場合はInformation Technology

なのか

情報技術

それは直接デジタルではないよね

 

情報を圧倒的な量で集約できる

とか

集める

それを分析する

それが大量だ

 

というのが情報の扱い方で

それを可能にしたのが

情報を記号にしてPCという計算器で扱えるようにしたこと

なわけじゃんね

 

PCでできることはそのように情報化された記号だけで

つまりこのオレの日記も文字という抽象を経ているわけですよ

オレの思考が記号になっている

それは

「思考が外に出た(脳の)」ということなんだが

 

オレはいつもそのへんのことが気になるのね

 

生産設備とか資材調達とか販売倍増とかそんなんは知らないわ