小説(を読む)

明日が返却日なので

イーユン・リー『Must I Go』(邦題 もう行かなくては)を

読む

 

あとCAKESがまもなく終了で山形氏がこれを機に

なかなか書けなかった小説たちについての論を書いている

大野先生は映画の連載で「アメリカン・ビューティー」について

書いている

 

映画にも小説にも(きほん)ストーリーがあり

オレはそれらを見たり読んだりするのだが

そこには他人の人生がある

わけだ

 

なかなかリアル人間は他人にたいして胸襟をひらいて人生について

自分の人生についてよかったこともわるかったことも

つつみかくさず秘密を話すように

そんなふうには他人にむかって話すことは稀である

 

でも小説ならばそこには他人のつつみかくさない人生が

あるね

おおかたあるね

ないものもあるかもしれないけどね

 

映画ならばさらにそれは「他人の人生を生きる」という

比喩でしかあらわせないようなことを実現させてしまう

不思議だね

映画には目があるから

目でみている

ような気持ちにさせる(目はカメラである)

カメラはショットをつくるのであるが

それは「ショット」はつくられるものであり

実際にはカメラがつくるのではなく

カメラを目として監督がショットをつくっているのである

それが小説で言えば小説に何をどのような角度でどの順番で

視点とエピソードと題材と時代と時制と組み立て順番と

効果

そういうのが技法である

 

山形氏の連載は文がおもしろいのでとっておきたい(ちょさっけん)