今日は今日も今週も
サンソンをきいていて
ヤマタツのところにいろんなおたよりがきて
「ジャケ買いしますか」との質問で
ヤマタツは
トーキングヘッズのとかね あの ラウシェンバーグの
と言ったのだ
その瞬間
ああそれはそうなのか!と
つながった気分になった
はたしてそれはトーキング・ヘッズ
「Speaking in tongues」のジャケデザインが
ロバート・ラウシェンバーグによるもので
で
オレが昔から知っているトーキング・ヘッズであるが
ラウシェンバーグについてはついさいきん
になって滋賀県立美術館でみたばっかりだったのね
【開催中】常設展 名品選II・Ⅲ
— 滋賀県立美術館(SMoA) (@shiga_kenbi) 2022年5月4日
ロバート・ラウシェンバーグ《カードバード・ドア》(1971)を、展示しています。
廃品の段ボール箱を用いて制作しているように見えますが、文字はすべて版画によるフェイク(偽物)です。
実際にドアとしても使用できるユニークな作品を隅々までご覧いただけます。 pic.twitter.com/TPkDejUROM
そう
これです
つまりオレはあのジャケの奇天烈ともいえる絵の色彩を
大昔から見ているにもかかわらず
そこには現代美術(近代美術)というものの
流れがあったんだなあと
思ったんだよ発見
なにしろオレが美術をちゃんと体系として意識しはじめたのなんて
40過ぎてからくらいからじゃないの
美術館の訪問趣味だって
直島とかいくのは島にいきたかったからで
まあ地中美術館でかなりびっくりしたのは本当だけど
(あと豊島美術館の空洞っぷりね)
建築と美術はほとんど表裏一体といってもよくて
そして美術は古代から現代へとちゃんと流れがある
現代の美術は幅が広すぎるけどちゃんと底流があると
思うわけよ(アカデミズム的にも)
そういうのはオレが知らなかっただけでちゃんと1970年代とかに
カウンターカルチャーの中にもそこからの派生が
生きていたんだなあと思って
ちょっとかなり面白かったのね
興味深いのほうの面白かったですよ
重要なのはオレがそのことを知るのは
知ったのは
ラジオをきいていなかったらそんなジャケデザインのことなど
知る由もないのである
そのようにして世界は多様性と豊饒さとでたらめさを
かくしもっておりオレにはみえてないものは
無数にあまたあるのである
っていう体験ね
ヤマタツに感謝するしかない
彼にとっては当然の情報だっただろうけど
それは万人にとってそうではないのである
発信である(発信する場所をもっているということね)