反復というと強迫観念的なものをおもわせる
止められないから
しかし習慣というのは
好きでやってるをとおりこしてやるのがあたりまえになること
だろうて
オレにとっては朝おきてまずメガネをかけるのが習慣
考えずに行動している
メガネないまま行動開始はありえないから
どうかなあという懐疑があってもつづけているうちに習慣に近く
なっていくこともあり
ラジオを録音するとか
日曜の朝は「音楽の泉」をきくとか
奥田先生が毎週すこしずつ知識もまじえて評を話してくれるそれは批評にもなっている
そういうのをくりかえしていくうちに
美術館とかも通ううちに
すこしずつなにか前にみたものと比較したりするようになるのでは
ないか
アール・ブリュットという名前をフランス人がつけたわけだが
じゃあシスコさんの絵画はどこがどのようにアール・ブリュット的
であるといえるのか・?
なんとなく見ててそう思うではだめで
どこがどのように
を記述できんとそれはそう考えたということの描写にならんのう
とかね
そういう形で価値のことをかんがえる
んじゃないのかな
音楽はもっとむつかしいねえ価値のことを話すのが