映画「こちらあみ子」について

困った

豊橋で見てきた

そして車で家にかえるまで1時間とまずまずかかる

のだがそのあいだずっと

感想を書くのを習慣にしているが一体何を

書くかと考えると

何も出てこないのではなく

黒っぽい塊があってそれは書くものとしてはあまりなじまない

ようなものなのでそれで困っている

 

人間のこころがない

 

とみにくい婆はマックスに言ったのだ

 

それは「はみだしっ子」でのおはなし

実際にはマックスはちゃんと人の心があるコドモですしおすし

 

そのことをずっと考えていた

マックスはいいんだよ

 

しかしあみ子はどうだろうか

 

何を書けばいいのやら

 

それをもってどうしていくといいのやら

 

これは原作小説をこれから読むべきのような気がする

覚えておけば

 

いやさ不適切とわかっていても書けばいいとは思うのだが

書きたくない

 

=~ではない

という否定形のことならいくらでも書けるのに

そうではない表現では何も書けない

 

この映画はハートウォーミングではないし

人間が乾いた悪であることは描いているなぜなら乾いた悪を行う人間は出てくるからだ

すごく乾いているし涙も出ないし反省もない

 

誰も説明しないし

せつめいをはじめから諦めている

 

ファンタジーの部分がある

 

2回ある

 

それがなかったらこの映画はもっと陰惨でオレは途中で出てきて

しまっていたかもしれない耐えられなくて

 

という風にオレは弱いということがわかる

わかった

 

もちろん主人公がこのような演技ができることがすごいのであって

オレは何の感情もそこから読み取れなかったから

オレが未熟であるのと同時に主人公の演技は

すごいと思う

 

本当はあみ子がまとわりつく先の男児についても書きたいのだが

書きたくもない

彼は悪ではないが結果的に酷いし取返しもつかない

 

というか誰もが取返しのつかない状態である

 

そういうことだとすればこれは

それそうして

そのことは

そこにいる人間たちにとっては

なにかが起きて

起きたこと自体はだれのせいでもないと言うこともできるし

そうでもないと言うこともできる

 

できることがあるとすればあみ子を

理解することやあみ子とコミュニケーションを

とろうとする

ような人間が誰も(おそらくはじめから)いない

いなくなってしまった

ということがどうしようもないその状態

をどうにもさせない

つまりそのまま

ということになっているのが乾いていると

いう表現になる

 

乾いている

 

見たくないシチュエーションで長回しになる

観客であるオレはそれに耐えられなくなりそうになる

じっさいかなり耐えられない

 

あみ子には「耐えられない」ことがない

 

TVで白黒映画で「フランケンシュタイン」をやっているのである

誰もがそれは寓話でありあと暗喩であるとか

言うんだろ

言うさね

でもあれはフランケンシュタインのつくった怪物であって

フランケンシュタインその人ではないんだけどね

 

おまけにメアリ・シェリーの原作の怪物はちゃんと

人のこころを勉強したりするんだぜ

 

そっちのほうがはるかに人の人らしさに近いよ

 

これまでだ

おわり