しょしょ

いろいろもろもろ

諸諸

 

というわけで今日はほぼおわり

明日は実家(予想された事態)

 

小まとめ

 

今日は18きっぷでうろうろする夏の1stデイだったわけだが

電車にのるのがひさしぶりでうれしい

のはあるが

うとうとしてたらもったいない

とばかりに読書してみたり

それで『価値』の読書が少々進んだわけで

しかしまあ価値ってのはおそろしい言葉だね

いまちょうどアビス(2期)の3話が「価値ある」「どのくらい価値ある」とかいって殺しかねない場所ですよ成れ果てのやつら

こわいマンガとアニメだね

正代もいまごろみているかなアビス

 

あと電車内でB6メモみながら復習もした

やはり自分で書いたメモはよみやすい

書いてそれを読めば覚えられるような気もしてきている

(そしてまた書く)

 

あとはさっきかいた受刑者とか

 

今日は土曜で朝日は書評

金原ひとみ評「大丈夫な人」カン・ファギル

の中で

書評の中で

「デフォルトマン」という単語があらわれる

ついに

「白人でヘテロセクシュアルでミドルクラスの男性」

なんだってさ

遅かれ早かれというところだ

 

ついに

 

ついにというのはオレの感想である

そうではないやつが社会的弱者であると

 

弱者

 

弱者男性とかいるわけだ

弱者女性とかいるわけだ

 

オレが考えたいのは書評にあった短編の内容ではなく

 

オレがおそらくは収入をのぞけばデフォルトマンであること

による居心地の悪さだ

 

そうじゃないのにと大声で叫びたい気分

 

しかし実際は収入とステータス(企業につとめていないから)

の面でオレはデフォルトマンではない

 

ないほうが安心するに決まってるじゃんね

だってデフォルトマンは誰からも嫌われ誰からも関心をもたれず

 

しかし弱者だろうと誰だろうといったい誰からも嫌われない人という

ものが

ありえるのだろうか

 

と考える

 

そんなやつはいないと思うのだ

 

だいたいオレは「他人は存在しない」というのが最近のオレの考えである

 

 

もちろん最近のオレは人を見て他人を見て

あらゆるレッテルを貼らないようにしたいものだと思うあまりにかえって不自由になっているのである

 

でも40代50代女性が歩いているのをみて自動的に誰かの母なのか結婚しているのか家庭はあるのかそれとも独身なのか仕事はしているのか主婦なのか

と考えることを止めにしようとそのくらいは思うようになっている

つまりその自動思考は危険だと思うからだ

危険というのは自動思考はそのままいつでも汎用

してしまうから

そうすると他の可能性がついえるじゃんね

こわいこわい

 

名古屋のまちなかをあるけば

明るい服を着たカップルや

電動車いすを運転するおそらくはなにかの原因で小さい身長の男や

きたない服の人や

顔がきたない人とか

いろいろな人がいた

なかなかオレは田舎でそういうバラエティに富んだ人物たちをみかけないので

ある

だいたい典型から外れていない人しかみないね

ときどき図書館に知的障害的な60代くらいの大声のおっさんが来るけどね

あれは道をききにきているのかさみしいからきているのか

さあ

どうだろう

 

このあたりが諸々脳内にいま展開しているようなことだ

 

 

ちょっと香取くんのことをツイートするとおそろしいいきおいだ

あの界隈の推しパワーの人はものすごい