いくつか

考えるネタいくつか列記(ジムフロにいこうとしたら

夏特有の南から北へ流れる熱気の雨ストーム豪雨がきたので

時間つぶし)

 

・なぜ白浜(白良浜)は醜悪であの誰もいないにひとしいビーチはきれいなのか

 

・風景を小説が書いてこなかったというが絵画は風景かきまくりだよな

 

・若い人だけが金を落してるって>?そんなわきゃあない

 

「若い人だけが」からいく

別に消費をしているのは若いやつだけではない

なぜならいま日本には「若い人」がどんどん少ないし

かれらのうちのマジョリティはそんなに裕福ではない

消費をしているのはコガネ持ちのヤングファミリー(マンション買ったり

家買ったり車買ったり酒のんだり)

かれかのじょらは正社員ポジションを有効に活用している

有効ってなんだよなって話でね

家と車と酒があれば人間こうふくなのかね

まあ

コドモがいれば幸福かもね

 

旅先で録音ラジオをかたっぱしからきき

めずらしくオードリーANNをきけば

春日が住んでるマンションのベランダで

子供用プールが広げられるとか犬にボール投げてとってこさせられる

っていうからどんだけ広いんだ

と若林が言って

あれだろマチュピチュだろ階段状のマンションんだろ

とか言っていた

そうじゃないと思うけどそうかもね

まあどうでもいいけど

若林も娘に絵本読みとかしてんのね

山ちゃん’(山里氏)娘誕生おめでとう

たてつづけにねえもう

 

「風景を小説が」

旅で読んでた文庫の

保坂「小説書きあぐねてた人のための」うんぬん

小説について考える本である

小説言語は風景をちゃんと書いているとはいえないのではないか

という仮説

そうかもしれんしそうじゃないかもしれん

絵画は

絵画をね

みてたんだよ今日

京都でね

それは版画だったり絵画だったりしたが

どっちにしろ

人物かいたり風景かいたりモノをかいたり

なにをかいてるのかわかんない絵画だったりしたよ

絵画ってのは小説よりもはやく「芸術」としてみとめられてるのかね?

まあ肖像があるからなあ

 

小説というかお話はあれかなあ

口承文芸シェイクスピア

日本の王朝文学とエッセイ伝統と

ともかく日記文学

 

みな風景はかかないの?

なにかこう自然を愛でるとかはするよね

 

またしても戦前の日本の画家なんだけど

コレクション展とか所蔵作品展とかやってくれると

なんかこう日本人画家の作品で

大正から昭和にかけての作品たちが

さいきんとみに気になるのだる

 

それはもちろんシュルレアリスムという大きい

爆発的ななにかが世界を席巻したという事情があり

 

そして

あと

なんかこうその大正~昭和初期の日本人って

案外

平気で海外いったりしてそこで暮らしたりして

そういうのが21世紀よりもそのころのほうが

やりやすかったのではないか?

ネットとかないほうが

もっと

直接やってたんじゃないのか?

日本人というものを

たとえばパリの人がそれを見て

ううむ

と言ったとは思うのだが

偏見というか人種差別というか

そういうのはまああったとは思うのだが

その質は21世紀のそれとは違う偏見だったのではないか

 

何がいいたいかというと

 

海外の流行を受容する日本人も

海外に行ったやつらを受容する西洋人も

どっちも

21世紀のやりかたよりももっとなにかこう

シンプルに直接的にやってたんじゃないかというのがオレの印象仮説

である

 

ちり紙がスポイトの水滴をあっというまに吸収するようにね

 

「白浜きたない」

もちろんオレには偏見がやまのようにあって

浜でわいわいする若い男女はぜんぶくだらないやつらの集団だ

という偏見がある

あと浜でわいわいするやつらは社会に迷惑をかけているという偏見もある

ありまくり

白浜のファミマは床がすなだらけだし

夜に駐車場を閉鎖せざるをえないし

湯どころは町民しか受け入れませんと書いてあるし(それはコロナのせいか)

とにかくきたない浜なのである

客がそれをきたなくしている

もし

誰もいない浜であればさぞかし美しい自然だったろうにねえ

 

それは四国でオレがみた浜はだいたいきれいだったよ

まあ

港になっていて浜ではないケースが多かったけどね

 

しかしこの豪雨はけっこう長いな

 

まちくたびれた