・スナックは蕩尽のために存在意義があった
・客なら「お話」きいてくれる
・つぶやきをネットに出すことは 潜在的におっぴろげしたい要素を満たしている
バーチャルに「お話」きいてもらっている感覚 (実際に聞いてくれてるかどうかはどうでもいい)
と思ったがしかし
しかしバーチャルだろうとなんだろうと
ネットに「書く」ことが自分で自分へ話しかけて自分が
それを聞いている
ということなんである
フランシス・ハ
の話が「尼(略」ポッドキャストに出てきているが
そもそも今回のテーマが「わたしは最悪。」の
映画の話でしかしそれは
女性の30前後の人がいまこの世界では
母になるかそれともバリキャリになるかの
2者択一みたいにせまってくる
みたいなことが誰も口に出してそう言わないがそう
言われているような圧迫の感覚があるという話が
ところでフランシス・ハ
は
もちろんのちに有名にのし上がっていくグレタ・ガーウィグの主演作で
どんどん世界は進んでいくわけではなく
ただ変化していくという感じがあって
主に「女性の生き方」が日々更新されているような
そういう世界なのだが
一方でヘテロ男性の生き方はいっこうに更新されない
されないというか
もう変化できないというか変化するポテンシャルが
存在しないというかもうどうにもならない行き止まり
どん詰まりというか
なにもできないんだよおまえらのような男性には
と誰かに言われているような圧迫を感じる幻想
を感じたりしているわけである