岩波新書『アナキズム』栗原康

明日返すので今日おおまか読了

(ざっと読んでいる)

 

つまるところ何がオレの興味をかきたてるかといえば

さいきん考えていることとリンクするところがひっかかるのであって

それは

2つあって

・将来とかいってるとその将来は来ない可能性が高いので将来ではなくて今だ

アナキストにもいろいろあるがエマ・ゴールドマン伊藤野枝がオレの中で興味をかきたてる(ほんとはさらに金子文子がいるのだがそれはこれから小説で読むからまたあとで)

 

エマも伊藤野枝も男とつきあったりコドモがうまれたりいろいろあるわけだが栗原はこの岩波新書で(岩波新書ですからね)ちゃんとセックスの快感がそこにあったとしてもそれは別にそのことで二人がひとつになったとかそういうわけではなくてひとりのままだということをちゃんと書いている

でも大杉栄伊藤野枝のところにコドモがぼこぼこ生まれてもそのおむつとかコドモの服とか伊藤がぜんぜんふつうの世話的な洗濯とかしないので居候のゴロツキたちが自然とやむを得ずコドモの世話とかオムツの洗濯とかコドモ服をむりやりつくるとかそういうエピソードがおもしろい

つまりそれこそが相互扶助ではあるのだがぜんぜん計量していないしある意味では相互でさえもない

それでいいのだって話である

クロポトキンとかの話もあったがぜんぜんオレのあたまに入ってこない

それよりはデビッド・グローバーみたいな

1 コミュニズム

2 交換

3 ヒエラルキー

の話のほうがおもしろかった

グローバーはブルシット・ジョブの本書いた人である

ヒエラルキーが危ないのである

偉い人がそれ言ったからそれ正しいって?そんなわけあるかい

ってことです

 

栗原こそが伊藤野枝の生涯を書いているのでそれも読まんといかんわけで

 

なんちゅうかフェミニズムというからオレがそこになにかの反発を思ってしまうのであって

そこを

うまいこと

フェミニズムではなくて

女性差別だけを戦う対象にするのではなくて

既成の根拠なきおしつけ全てが疑い壊してくものだって

思うと思えばいいんじゃないかとも

思うのよ

政府がいらんというのが最初にあるのだとしてもね

まあだからこそ政府は殺しにくるわけだが