『しあわせは食べて寝て待て』3巻 と「家族レス」あるいは「家族マンガ」

買ってすぐ読む(日曜だし)

 

いいねえ

 

まあつまりある意味では貧困線のすこし上の話でもあるんだけど

なんとか仕事があって定職でパートで週4だとしても

食っていけるし家賃も払っていけるのだからいいではないか

別にその職が脅かされている(おびやかされている)わけでもないんだから

 

しかし結局は身の周りにいる人間たちのいろいろな

思惑とかそういうのがポイントになっており

それはそうだよね

オレがWEBで読んでいる舞妓さん家のまかないさんだっていまは

もう代替わりしてしまって別のふたりが主人公になっているけど

仕事があって(舞妓でありまかないさんであり)そしていろんな人がいて

いろんな食があって行事があって日々は過ぎていく(年中行事は

大切よ!)というお話

お話である

お話が成立するためになにかドラマが起こらないといけないのか

といえばドラマはどんなに小さいものであってもかまわないというのが

このなんというか

日常系という言葉は好きではないのであまり使わないほうがいいとは思っているのだが

日常を構成しているパーツはどれも

こまかくて

なにげない

なにげなくないんだけどなにげないことである

考えかたうけとめかた一つとってみても

人によって違うし

 

たとえば「しあわせは」で主人公のレンタルルームを利用しようとする

女子高生(関西の大学にいきたい)は

家がきらいで

家における父と母のつくりだす不仲のいさかいのうるさいののが嫌いで

嫌いなんだけど行き場のない子であるし

 

一方でWEBで読んでる「元独身漫画家」渡辺電機がとつぜん結婚して

子連れ女性だったので子持ちになりさらに自分の遺伝子をもつ子も

存在して3人を育てるマンガがあり

こっちでは家はつねにいろいろな騒がしいことがあるのだがこれを

父からの目線でみていると

父は子供たちそれぞれをみているが

長女はとくにトラブル的なことは出てこず

次女は長男(幼児)がうるさいといってわめき

しかし幼児だからうるさいのはあたりまえで

漫画家は還暦にして筋肉がついたといっており

それは子供を育てるのは筋肉が必要だという話で

リアリティとしてすごくなんかすごいなあと思う次第

である

 

何の話だ

家庭の話か

家庭はいろいろだっていう話

 

そこで自分の経験を振り返ると結局はオレは

嫌いだったのであろうて家庭のその時間というか過ごし方というか

オナニーも安心してできないし

夜遊びもできないし

家にしばられるなんて御免だし

と思ってたからこそ

たぶん高校入学とともに家を出て寮に入れて万々歳だったわけで

(まあ日米だったけど)

 

それいこうはもう実家はまったく落ち着ける場所ではなく

いまでも落ち着かないねあの実家

オレがたしかにあそこであの家で1977から1984くらいまでを過ごしたわけだが

考えてみればたったの8年弱である

そんなに短かったのねあの家ですごした時間は

たしかにつかいにくい家でもあるし

無駄に家具が多いから食堂が狭いのは最悪である

 

食器とかあんなにたくさん不要なんだよ

 

と思っている

いつも

 

まああとは何を食うかによって人間はつくられるのだから

 

なんにせよ「しあわせは」のお話はまだつづきそうだし

別に恋愛にならなくていいからなにかこういいかんじになっていくと

いいねえ

(そういういいマンガである)